| 蜻蛉丸 | |||
| 藩名 | 土佐藩 | ||
| 藩主 | 山内容堂 | ||
| 船種 | スクリュー汽船 | ||
| 機関 | 蒸気内車 | ||
| 備砲 | 0門 | ||
| 材質 | 鉄製 | ||
| 馬力 | 150馬力 | ||
| 写真 | 無 | ||

原名はスパンキー。
1866年に土佐藩が長崎のオールト商会から買った、鉄製のスクリュー蒸気船とされます。
所属した土佐藩と、武市半平太
この軍艦・蜻蛉丸を運用したのも、土佐藩(山内家)です。土佐の尊皇攘夷運動を率いたのが、武市半平太(瑞山)でした。
武市は土佐勤王党を結成し、坂本龍馬や中岡慎太郎ら多くの若者を集めて、藩を勤皇へと動かそうとしました。一時は藩政に影響力を及ぼしますが、公武合体派の巻き返しにあって投獄され、切腹を命じられます。その志は、脱藩した龍馬や中岡へと受け継がれました。蜻蛉丸は、その土佐勤王党を生んだ土佐の一隻です。
読み方が決められません
土佐藩の船が『源氏物語』の巻名で揃っていることからすると、蜻蛉は第五十二帖の「蜻蛉」で、読みは「かげろうまる」だった見込みがあります。ただし土佐藩の船を並べた資料の一覧に蜻蛉の名は入っておらず、読みを決められる資料も見つかりませんでした。せいれいまる、とんぼまる、かげろうまる、いずれとも断定できません。同じ藩の船には若紫丸、夕顔丸、空蝉丸、箒木丸、胡蝶丸、乙女、紅葉賀があります。
買った相手は、乙女丸と同じ人のようです
伝わる記述ではこの船を英国商人オールドから買ったとしています。いっぽう乙女丸のほうは「オールト」です。長崎の外国商人にオールドという人は見あたらず、土佐藩の船の仲介にはオルト商会の名が繰り返し出てきますので、同じウィリアム・オルトの表記ゆれとみられます。慶応二年に買った鋼鉄製の蒸気内車船で、原名はスパンキーですが、この名の船を外国の記録に見つけることはできませんでした。値段も、造られた国も、戊辰戦争での使われ方も分かりません。
箒木丸と同じ行に、まとめて載っています
この船を調べていて分かったことがあります。土佐藩の艦船一覧を載せている資料のうちの一つでは、蜻蛉丸と箒木丸が一つの行にまとめて記録されているのです。
その行の内容は、原名スパンキー、鉄製の蒸気スクリュー、六十トン、慶応二年、二万三千ドル。蜻蛉丸の原名はスパンキーとされ、箒木丸は六百トンと伝わりますが、六十トンなら箒木丸の寸法(長さ十三間・幅三間)とよく釣り合います。二隻をまとめて一行にした理由の説明はなく、同じ型の二隻なのか、同じ船が二つの名で記録されたのかは判断できませんでした。「スパンキー」という名の船も、英語圏の記録には見当たりませんでした。
買った相手はオールト商会でしょう
購入先は「英国商人オールド」と書かれることもありますが、これは長崎のオールト商会、ウィリアム・ジョン・オールトの表記の揺れとみられます。土佐藩はこのオールトから夕顔丸と羽衣丸を買っており、開成館の長崎出張所を通じた取引がありました。
もっとも、土佐藩がオールトに負った債務については、十八万両とする記述と十万両を超えるとする長崎市の説明があって一致しません。船を買い集めた代金が、そのまま藩の借金として残ったわけです。若紫丸のほうはグラバーの仲介で上海で建造された小型砲艦だったと伝わります。
源氏物語の巻名という話について
蜻蛉は源氏物語の第五十二帖です。土佐藩が源氏物語の巻名で船に名を付けていたことは、石川島造船所を興した平野富二の事績を調べた古谷昌二が明記しており、若紫・夕顔・空蝉・箒木・胡蝶・羽衣・乙女・紅葉賀の八隻を実名で挙げています。
ただし、この八隻に「蜻蛉」は入っていません。巻名と一致するのは事実ですが、土佐藩がその意図で付けたと書いた資料は見つかりませんでした。命名の由来をアメリカ人宣教師フルベッキの助言とし、山内容堂自身が巻名を選んだと説明する記述もあるのですが、これは個人サイト一件にしか見当たらず、裏が取れませんでした。読み方を「かげろうまる」と決められる資料も、やはり見つかっていません。
蜻蛉丸を船の型と持ち主から読む
蜻蛉丸の機関は「内車」、つまり水の中のスクリュー(プロペラ)を回す方式です。推進器が外から見えず砲弾に当たりにくいため、幕末の軍艦の主流になった型です(外輪とスクリュー)。船体は鉄で造られていました。日本で鉄の船が造れるようになるのは明治以降で、鉄船はすべて外国から買われたものです。
当サイトで紹介している土佐藩の船は、この蜻蛉丸を含めて10隻あり、そのうち帆船は3隻です。同じ土佐藩の船には、横笛丸(木製スクーナー)、若紫丸(砲艦)、夕顔丸(輸送船)、箒木丸(輸送船)、羽衣丸(スクーナー級輸送船)、南海丸(スクリュー汽船)、胡蝶丸(輸送船)、乙女丸(輸送船)などがあります。



