| 鵬翔丸 | |||
| 藩名 | 江戸幕府 | ||
| 藩主 | 徳川慶喜 | ||
| 船種 | バーク級輸送船 | ||
| 機関 | 帆走 | ||
| 備砲 | 4門 | ||
| 材質 | 木製 | ||
| 馬力 | 0馬力 | ||
| 写真 | 有 | ||
■ 詳細
鵬翔丸は、幕末に江戸幕府が保有した洋式帆船で、主に航海練習船として使用されました。元は1857年に建造されたイギリス商船「カタリナ・テレジア」です。
安政5年(1858年)、佐賀藩がオランダに発注した工作機械を輸送して長崎港に寄港したところを、幕府が長崎海軍伝習所などで使用する練習船として購入しました。横帆航行の練習用に適した船が求められたとも言われます。
本船は蒸気機関は持たない木造帆船で、長さ約36m・幅約7.5m・340トンという要目です。帆装形式は、勝海舟のまとめた『船譜』によれば、3本のマストのうち前2本に横帆、最後尾マストに縦帆を張った三檣バーク。
ホイセン・ファン・カッテンディーケは、スクーナーだったと述べているが、これは帆装形式ではなく軍艦の等級の区分の意味である可能性があります。武装として大砲4門を備えていました。万延元年(1860年)9月8日に下田沖で台風に巻きこまれて沈没しました。
目次
所属した江戸幕府と、箱館湾海戦
この船・鵬翔丸を運用したのも、江戸幕府です。旧幕府海軍の終わりを告げたのが、箱館湾海戦でした。
明治二年(1869)、新政府は甲鉄艦を中心とする艦隊を箱館へ送り、旧幕府軍の回天丸や蟠竜丸と激しく戦いました。海の戦いに敗れた旧幕府軍は、まもなく五稜郭を開城し、戊辰戦争は終わりを迎えます。鵬翔丸も、その最後の海軍の一隻でした。箱館の五稜郭のページもどうぞ。
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