全藩一覧—幕末の藩を地域・名前から探す– category –
江戸時代に置かれた藩を、地方別にまとめています。幕末まで続いた藩だけでなく、江戸時代の初めに取りつぶされたり国替えで消えたりした小さな藩も含め、およそ530の藩を一つずつ取り上げました。各ページでは藩が生まれた経緯、藩主家の移り変わり、幕末から廃藩置県までの動き、いまの城跡・陣屋跡の場所を紹介しています。
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龍野藩/脇坂家5万1千石:脇坂安斐 譜代大名となるが戊辰戦争では姫路藩攻撃や北越・会津戦争に参戦した龍野藩
龍野藩(脇坂家5万1千石、脇坂安斐)。譜代大名となるが戊辰戦争では姫路藩攻撃や北越・会津戦争に参戦した龍野藩。【藩名】龍野藩【説明】寛文十二年(1672年)、信濃国飯田藩より「脇坂安政」が五万三千石で入封し幕府より城の再建を許され、龍… -
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丹後田辺藩(舞鶴藩)/牧野家3万5千石:牧野弼成 戊辰戦争では新政府に恭順した田辺藩
丹後田辺藩(舞鶴藩)(牧野家3万5千石、牧野弼成)。戊辰戦争では新政府軍として参戦した田辺藩。寛文八年(1668年)、京極家に代わり「牧野親成」が摂津国より三万五千石で入城します。田辺牧野家の藩祖は「牧野康成」です。 -
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宮津藩/松平家7万石:松平宗武 鳥羽・伏見の戦い以降西園寺公望の山陰鎮撫使に降伏した宮津藩
宮津藩(松平家7万石、松平宗武)。鳥羽・伏見の戦い以降西園寺公望の山陰鎮撫使に降伏した宮津藩。天和元年(1681年)、「阿部正邦」が武蔵岩槻藩より入封するが、元禄十年(1697年)には下野宇都宮藩に転出し、入れ替わり宇都宮より「奥平昌… -
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福知山藩/朽木家3万2千石:朽木為綱 鳥羽・伏見の戦いでは参陣に遅れその後西園寺公望の山陰道鎮撫使に降った福知山藩
福知山藩(朽木家3万2千石、朽木為綱)。鳥羽・伏見の戦いでは参陣に遅れその後西園寺公望の山陰道鎮撫使に降った福知山藩。関ヶ原の戦いで東軍についた有馬豊氏は、本戦で軍の後ろを固める役を務め、その働きで遠江横須賀の三万石から福知山の六万石… -
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八上藩/松平家5万石:松平康重 丹波篠山城へ拠点を移したため廃藩
八上藩(松平家5万石、松平康重)。丹波篠山城へ拠点を移したため廃藩。八上城は戦国期に織田家重臣「明智光秀」と「波多野秀治」率いる波多野一族との間で攻防戦があったことで有名です。 -
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丹波亀山藩/松平家5万石:松平信正 戊辰戦争では新政府の山陰鎮撫使に降伏しその後新政府軍に従った亀山藩
丹波亀山藩(松平家5万石、松平信正)。戊辰戦争では新政府の山陰鎮撫使に降伏しその後新政府軍に従った亀山藩。慶長十四年(1609年)、徳川氏譜代の家臣である「岡部長盛」が下総山崎藩から移封され丹波亀山藩が再度立藩されました。 -
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篠山藩/青山家6万石:青山忠敏 藩論が佐幕・尊皇に割れたが西園寺公望引きいる新政府軍が城下に迫ると恭順した篠山藩
篠山藩(青山家6万石、青山忠敏)。藩論が佐幕・尊皇に割れたが西園寺公望引きいる新政府軍が城下に迫ると恭順した篠山藩。寛延元年(1748年)八月、青山忠朝が丹波亀山藩から五万石で篠山へ移封となりました。 -
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高取藩/植村家2万5千石:植村家壷 天誅組の乱の鎮圧にあたるが以降新政府に属した高取藩
高取藩(植村家2万5千石、植村家壷)。天誅組の乱の鎮圧にあたるが以降新政府に属した高取藩。寛永十七年(1640年)十月十九日、大番頭であった「植村家政」が、九千石から二万五千石に加増されて大名となり高取藩が立藩されました。 -
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田辺藩(紀州藩附家老)/安藤家3万8千石:安藤直裕 幕末に新政府から独立した藩として認められた紀伊田辺藩
田辺藩(紀州藩附家老)(安藤家3万8千石、安藤直裕)。幕末に新政府から独立した藩として認められた紀伊田辺藩。「浅野幸長」が紀伊を支配していた頃は、一族の「浅野知近」が田辺城を領していました。 -
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紀州藩(和歌山藩)/徳川家55万5千石:徳川茂承 鳥羽・伏見の戦いの敗戦で旧幕軍を受け入れて新政府の攻撃対象とされかけた紀州藩
紀州藩(和歌山藩)(徳川家55万5千石、徳川茂承)。鳥羽・伏見の戦いの敗戦で旧幕軍を受け入れて新政府の攻撃対象とされかけた紀州藩。紀伊の国は、慶長五年(1600年)の関ヶ原の戦いのあと甲斐の国主だった浅野幸長に与えられ、まずは外様の浅… -
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新宮藩(紀州藩附家老)/水野家3万5千石:水野忠幹 第二次長州征伐では獅子奮迅の戦いを展開した新宮藩
新宮藩(紀州藩附家老)(水野家3万5千石、水野忠幹)。第二次長州征伐では獅子奮迅の戦いを展開した新宮藩。新宮の地は戦国時代、豊臣秀吉の家臣「堀内氏善」が領していたが、慶長五年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で石田三成率いる西軍に与した… -
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狭山藩/北条家1万石:北条氏恭 天誅組の乱に出兵したが早々に新政府軍に従った北条早雲の末裔 狭山藩
狭山藩(北条家1万石、北条氏恭)。天誅組の乱に出兵したが早々に新政府軍に従った北条早雲の末裔 狭山藩。小田原の北条氏は豊臣秀吉に攻められて降伏します(1590年)。当主の北条氏直は徳川家康の娘婿でした。 -
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岸和田藩/岡部家5万3千石:岡部長職 幕末期は尊皇・佐幕両派に藩論が割れたが戊辰戦争では新政府軍に従った岸和田藩
岸和田藩(岡部家5万3千石、岡部長職)。幕末期は尊皇・佐幕両派に藩論が割れたが戊辰戦争では新政府軍に従った岸和田藩。岸和田藩は「松平康映」の妻の父である「岡部宣勝」が摂津国高槻藩より六万石で入封し、明治維新まで岡部氏の所領となりました。 -
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郡山藩/柳沢家15万1千石:柳沢保申 幕府の享保の改革によって甲府藩より移封された柳沢家
郡山藩(柳沢家15万1千石、柳沢保申)。幕府の享保の改革によって甲府藩より移封された柳沢家。享保九年(1724年)、将軍「徳川吉宗期」の時代に幕府直轄領の拡大を目論み実施された「享保の改革」にて、甲斐国甲府藩から「柳沢吉里」が十五万一… -
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柳生藩/柳生家1万石:柳生俊益 初代柳生宗矩から将軍の剣術指南役を務め幕末を迎えた柳生藩
柳生藩(柳生家1万石、柳生俊益)。初代柳生宗矩から将軍の剣術指南役を務め幕末を迎えた柳生藩。柳生藩の初代藩主ある「柳生宗矩」の死後、一万二千五百石の所領は長男の「柳生三厳(十兵衛)」に八千三百石、三男の「柳生宗冬」に四千石、四男の六丸… -
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山城長岡藩/永井家2万石:永井直清 摂津高槻藩へ加増転封のため廃藩
山城長岡藩(永井家2万石、永井直清)。摂津高槻藩へ加増転封のため廃藩。山城長岡藩は江戸時代初期、現在の京都府長岡京市を領有した藩で、この地に長岡陣屋が築かれました。 -
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高槻藩/永井家3万6千石:永井直諒 戊辰戦争で新政府が優勢になるとこれに従った高槻藩
高槻藩(永井家3万6千石、永井直諒)。戊辰戦争で新政府が優勢になるとこれに従った高槻藩。「高槻城大手跡」の石柱。城の正面にあたる大手門は、このあたりにありました高槻城は、織田信長や豊臣秀吉に仕えた高山右近が城主を務めた城です。 -
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伏見藩/内藤家5万石:内藤信正 内藤氏が大坂城代となったため廃城とされ廃藩
伏見藩(内藤家5万石、内藤信正)。内藤氏が大坂城代となったため廃城とされ廃藩。関ヶ原の戦いの後、徳川家康は豊臣秀頼への牽制と畿内支配の拠点から、焼失した伏見城の再建に乗り出しました。 -
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佐和山藩/井伊家18万石:井伊直継 家康による彦根城築城と移転により廃藩
佐和山藩(井伊家18万石、井伊直継)。家康による彦根城築城と移転により廃藩。佐和山城は「織田信長」の時代から要衝と見なされ、特に信任の厚かった重臣「丹羽長秀」を城主としました。 -
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膳所藩/本多家7万石:本多康穣 佐幕派から尊皇派へ転換し戊辰戦争では新政府に属した膳所藩
膳所藩(本多家7万石、本多康穣)。佐幕派から尊皇派へ転換し戊辰戦争では新政府に属した膳所藩。最後の藩主である「本多康穣」の時代に藩内では尊皇派と佐幕派が主導権をめぐって争いました。 -
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朽木藩/朽木家2万石:朽木元綱 関ヶ原の戦いで寝返るも減封され大名の資格を失う朽木家
朽木藩(朽木家2万石、朽木元綱)。関ヶ原の戦いで寝返るも減封され大名の資格を失う朽木家。朽木氏は「朽木谷城」を本拠として代々室町幕府奉公衆を務めていました。戦国時代の当主「朽木元綱」も「足利義輝」「足利義昭」に仕え、外祖父には公卿の飛…
