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松本藩/松平家6万石:松平光則 天狗党の乱・北越戦争・会津戦争へ参戦した松本藩【幕末維新写真館】
【藩名】 松本藩 【説明】 幕末の松本藩は、安政2年(1855年)藩主「松平光則」によって財政・軍制を中心とした藩政改革が行なわれた。「天狗党の乱」では元治元年(1864年)11月に諏訪藩兵と共に中山道の和田峠で天狗党と交戦(樋橋戦争)したが敗北した... -
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飯田藩/堀家1万5千石:堀親義 佐幕派の家臣を新政府に差し出し恭順した飯田藩【幕末維新写真館】
【藩名】 飯田藩 【説明】 第10代藩主「堀親寚」は水野忠邦の「天保の改革」で幕閣の一人となり、奏者番・寺社奉行・若年寄・老中などを歴任して7千石を加増された。しかし、水野失脚に伴い7千石は没収の上、本高3千石も減封され陸奥白河藩領に加えられた... -
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高遠藩/内藤家3万3千石:内藤頼直 新政府軍に与して北越戦争・会津戦争に参戦した高遠藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高遠藩 【説明】 鳥居家が改易となり、高遠藩領はしばらく幕府直轄地となっていた。元禄4年(1691年)、河内富田林藩より「内藤清枚」が3万3千石で入封し再び高遠藩が立藩された。第2代藩主「頼卿」の時代から藩の財政難が始まり、藩政改革が試み... -
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敦賀藩(小浜藩支藩)/酒井家1万石:酒井忠経 本家小浜藩と違い一貫して新政府軍に与した敦賀藩【幕末維新写真館】
【藩名】 敦賀藩(小浜藩支藩) 【説明】 敦賀藩は天和2年(1682年)、小浜藩の第2代藩主「酒井忠直」の次男の「酒井忠稠」が父の遺領のうち越前敦賀郡・近江高島郡において1万石を分与されたことに始まる藩である。 幕末時の「戊辰戦争」においては、本家... -
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丸岡藩/有馬家5万石:有馬道純 いち早く新政府軍に恭順して家名を保った丸岡藩【幕末維新写真館】
【藩名】 丸岡藩 【説明】 丸岡城は戦国時代には「織田信長」の武将「柴田勝家」の養子「柴田勝豊」が治めていた。元禄8年(1695年)に譜代大名の本多家が幕命により改易されると、代わって戦国時代にキリシタン大名で有名だった「有馬晴信」の曾孫「有馬... -
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富山藩(加賀藩支藩)/前田家10万石:前田利同 加賀藩宗家から迎えられた最後の藩主前田利同【幕末維新写真館】
【藩名】 富山藩(加賀藩支藩) 【説明】 寛永16年(1639年)、加賀藩第3代藩主「前田利常(前田利長の弟)」が隠居するとき、次男の「前田利次」に富山10万石を、三男の「前田利治」に大聖寺7万石の分与し、富山藩と大聖寺藩が立藩した。 江戸後期から幕... -
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大聖寺藩(加賀藩支藩)/前田家10万石:前田利鬯 鳥羽・伏見の戦い敗戦後佐幕一色から新政府軍に恭順した大聖寺藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大聖寺藩(加賀藩支藩) 【説明】 寛永16年(1639年)、加賀藩の第3代藩主「前田利常」が隠居する際、次男の利次に富山10万石を、三男の利治に大聖寺7万石を分与して、富山藩と大聖寺藩が立藩された。3代藩主の「前田利直」は、弟の利昌に大聖寺... -
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加賀藩(金沢藩)/前田家102万5千石:前田慶寧 鳥羽・伏見の戦い以降方針を新政府側へ決めた加賀藩【幕末維新写真館】
【藩名】 加賀藩 【説明】 幕末時の加賀藩は藩父「前田斉泰」と世子「前田慶寧」が佐幕派と尊皇派に分かれて対立した。斉泰は「禁門の変」に兵を送ったが、士気も上がらずなすすべもなく兵を退いた世子「前田慶寧」を叱責の上で重臣2名を処罰した。そして... -
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七尾藩/前田家21万5千石:前田利政 関ヶ原の戦いで西軍に与したため改易 兄利長に吸収された七尾城【幕末維新写真館】
【藩名】 七尾藩 【説明】 「織田信長」や「豊臣秀吉」に仕えていた「前田利家」は加賀藩100万石を築き上げた。利家は長男「前田利長」に家督と加賀の所領を与え、次男「前田利政」に能登七尾21万5000石を分与していた。利家の死の翌年、「関ヶ原の戦い」... -
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松前藩(館藩)/松前家1万石:松前修広 正義隊の藩政掌握により新政府軍へ寝返った松前藩【幕末維新写真館】
【藩名】 松前藩(館藩) 【説明】 明治2年(1869年)6月、14代藩主「松前修広」は「版籍奉還」にて館藩知事に任じられた。明治4年(1871年)7月14日には「廃藩置県」で館藩は廃藩となり館県となる。政庁は完成前に旧幕府軍との間で「箱館戦争」が始まった... -
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上山藩/松平家3万石:松平信庸 奥羽越列藩同盟に与して久保田藩を攻めた上山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 上山藩 【説明】 上山藩は慶応4年(1868年)、戊辰戦争が始まると「奥羽越列藩同盟」に参加し総督「山村求馬」率いる洋式軍隊を出羽久保田藩に派兵する。しかし、山村求馬は出羽新庄藩の裏切りにより戦死してしまう。その後は庄内藩と合流して久... -
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新庄藩/戸沢家6万石:戸沢正実 戊辰戦争では庄内藩の攻撃で落城した新庄藩【幕末維新写真館】
【藩名】 新庄藩 【説明】 新庄藩は、慶応3年(1867年)の江戸薩摩藩邸焼討に庄内藩・上山藩・出羽松山藩と共に派兵したが、直接「薩摩藩」とは交戦せず、江戸市中の警備を担当した。翌慶応4年(1868年)に勃発した「戊辰戦争」では開戦当初に新政府軍の「... -
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本荘藩/六郷家2万石:六郷政鑑 奥羽越列藩同盟からいち早く脱退し新政府軍に従った本庄藩【幕末維新写真館】
【藩名】 本荘藩 【説明】 六郷氏は戦国時代には出羽国山本郡六郷を支配する国人領主で、仙北七人衆の一に数えられていた。「六郷政乗」のとき豊臣秀吉の「小田原征伐(北条征伐)」に従軍し、慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」では東軍(徳川家康)に... -
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久保田藩(秋田藩)/佐竹家20万石:佐竹義堯 戊辰戦争では新政府軍として奥羽越列藩同盟軍と徹底交戦した久保田藩【幕末維新写真館】
【藩名】 久保田藩(秋田藩) 【説明】 明治維新では、当初「奥羽越列藩同盟」に参加していたが、平田篤胤の思想をなぞる尊攘派が形成されていたこともあり、仙台藩の使者を斬った上で途中から「新政府軍」に寝返った。尊攘派の中心は「吉川忠行」忠安親子... -
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七戸藩(盛岡藩支藩)/南部家1万1千石:南部信民 南部藩宗家と共に戊辰戦争を闘ったため減封された七戸藩【幕末維新写真館】
【藩名】 七戸藩 【説明】 七戸藩は政庁を七戸城(青森県上北郡七戸町)とする盛岡藩の支藩大名である。別名を「盛岡新田藩」と呼ばれている。 「戊辰戦争」においては宗家盛岡藩とともに「奥羽越列藩同盟」に与したことより、明治元年(1868年)(明治元... -
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常陸宍戸藩(水戸藩支藩)松平家1万石:松平頼徳 天狗党の乱鎮圧に失敗して切腹 改易された宍戸藩【幕末維新写真館】
【藩名】 常陸宍戸藩 【説明】 元々は「秋田実季」が5万石で入封したが陸奥三春藩へ転封のため、水戸藩の支藩として宍戸藩が立藩された。8代藩主「松平頼位」は水戸藩主「徳川斉昭」に同調して、軍事改革などを積極的に行なっている。「天狗党の乱」では、... -
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笠間藩(越後国長岡藩支藩)/牧野家8万:牧野貞寧 長岡藩とは別行動を取り会津藩攻撃にも加わった笠間藩【幕末維新写真館】
【藩名】 笠間藩(越後国長岡藩支藩) 【説明】 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの翌年「松平康重」が武蔵騎西藩から3万石で入封して笠間藩を立藩した。慶長13年(1608年)に康重が丹波篠山藩へ移封されると、「小笠原吉次」が下総佐倉藩から入封した。し... -
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勝浦藩/大岡家2万石:大岡忠光 武蔵国岩槻藩へ加増転封のため飛地となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 勝浦藩 【説明】 天和2年(1682年)4月、上総・安房・近江・丹波などに所領を持っていた「植村忠朝」は新たに2000石を加増されて1万1000石を領する大名となり、「勝浦藩」を立藩した。植村氏は「本多忠勝」の寄騎で里見氏(館山城)の牽制などで... -
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百首藩(造海城)/松平家1万500石:松平重則 下野皆川へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 百首藩(別名:造海城) 【説明】 寛永10年(1633年)4月、「松平重則」が4000石を加増され1万500石を領する大名とし列すると「百首藩」を立藩した。しかし、寛永17年(1640年)、所領を下野国「皆川藩」に移封され「百首藩」は廃藩となった。 「... -
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淀藩/稲葉家10万2千石:稲葉正邦 鳥羽・伏見の戦いでは敗戦した旧幕府軍を収容しなかった淀藩【幕末維新写真館】
【藩名】 淀藩 【説明】 淀藩の藩主家稲葉氏は10万2,000石という大領ではあったが、その所領は山城のほかに摂津・河内・近江・下総・越後などの多方面に分散しており、山城にあった所領は2万石にも満たなかったと伝わる。このため、藩政においても財政は苦... -
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伊勢上野藩/分部家2万石:分部光信 近江大溝藩へ加増転封のため紀州藩領になり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 伊勢上野藩 【説明】 分部氏は戦国時代、伊勢国中部を領していた「長野豊藤」の五男「分部祐成」から始まる一族である。分部光嘉のとき、尾張の「織田信長」による伊勢侵攻が始まり光嘉は信長に恭順したため分部氏の存続を許した。主家である長野...
