2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)の関連記事です。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。
大河ドラマ『逆賊の幕臣』では、寛一郎さんが高杉晋作を演じます(2026年10月9日発表)。
高杉晋作(たかすぎ しんさく)は、長州藩の上級藩士の家に生まれ、吉田松陰の松下村塾に学んだ人物です。身分を問わない軍隊・奇兵隊をつくり、わずかな兵で藩の実権を奪い返し、幕府の長州征討をはね返しました。満二十七歳、数え二十九歳で結核のために亡くなっています。
大河ドラマ『逆賊の幕臣』では、江戸で主人公・小栗忠順と出会い、師の松陰を救うために小栗を頼る若者として登場します。この記事では、高杉晋作が何をした人なのかを、幕府の側にいた小栗との関わりも含めてまとめます。

高杉晋作とは?—先に答え
| 読み方 | たかすぎ しんさく(名は春風。東行と号しました) |
|---|---|
| 生没 | 天保十年八月二十日(1839年9月27日)〜慶応三年四月十四日(1867年5月17日)。数え二十九歳、満二十七歳 |
| 生まれ | 長州藩の城下・萩の菊屋横丁。大組に属する藩士・高杉小忠太の長男 |
| 何をした人 | 吉田松陰に学び、上海で列強の植民地支配を目にしたのち、身分を問わない奇兵隊を結成しました。功山寺で挙兵して藩の主導権を取り戻し、第二次長州征討(四境戦争)で幕府軍を退けました |
| 小栗との関わり | 第二次長州征討を推し進めた幕府の中心にいたのが、勘定奉行の小栗忠順らでした。高杉はその幕府軍を、海と小倉口で迎え撃ちました |
| 最期 | 慶応三年四月、下関で結核のため死去 |
| 大河ドラマ | 『逆賊の幕臣』で寛一郎さんが演じます |
萩の上級藩士の家から—松下村塾へ
高杉晋作は、萩城下の菊屋横丁で、大組に属する藩士・高杉小忠太の長男として生まれました。大組は長州藩の中でも上級の家臣団で、高杉は家柄のよい跡取りとして育てられています。藩校・明倫館に学び、剣術にも打ち込みました。
安政四年(1857年)、高杉は吉田松陰の松下村塾に入ります。家柄のよい高杉が、国禁を破って謹慎中の松陰のもとに通うことを、家族は快く思っていなかったといわれます。松陰は高杉の才気を高く評価し、同じ門下の久坂玄瑞とならべて「松下村塾の双璧」と呼ばれるようになりました。
江戸遊学と松陰の死—「死して不朽の見込みあらば」
安政五年(1858年)、高杉は藩命で江戸に遊学し、翌年には幕府の学問所・昌平黌に入りました。昌平黌では、小栗忠順の師でもあった安積艮斎が儒官を務めていました。大河ドラマで高杉が江戸で小栗と出会う場面は、この「同じ学びの場」を手がかりにした設定と考えられます。
安政六年(1859年)、松陰が安政の大獄で江戸に送られ、伝馬町の牢に入れられると、高杉は牢の松陰に手紙や差し入れを届けました。「男子の死ぬべきところはどこか」と問う高杉に、松陰は「死して不朽の見込みあらば、いつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらば、いつでも生くべし」と書き送っています。
高杉は、松陰が処刑される少し前に藩命で萩へ帰されており、師の最期には立ち会えませんでした。大河ドラマでは、高杉が松陰を救おうと小栗を頼る展開が予告されていますが、高杉が実際に幕臣の小栗に助命を頼んだという記録は、当サイトで調べた範囲では見当たりません。ドラマの創作の部分と見てよいでしょう。
文久三年(1863年)、高杉は仲間とともに、小塚原の回向院に葬られていた松陰の遺骨を、荏原郡若林村(現在の東京都世田谷区)へ移しました。このとき、将軍しか渡れない上野の三枚橋(御成橋)の中央を押し通ったという逸話が残っています。
上海で見たもの—文久二年の千歳丸
文久二年(1862年)、高杉は幕府が上海に派遣した貿易視察船・千歳丸に、長州藩からの随員として乗り込みました。同じ船には、薩摩の五代友厚や佐賀の中牟田倉之助も乗っていました。
上海で高杉が見たのは、太平天国の乱で荒れた町と、英国やフランスの兵に支配される清の姿でした。高杉はこの見聞を『遊清五録』に書き残し、日本も同じ道をたどりかねないという危機感を強めます。帰国後の同年暮れには、品川・御殿山に建設中だった英国公使館を仲間と焼き打ちしました。
興味深いのは、高杉を上海へ運んだのが幕府の船だったことです。幕府は諸外国との交易を自らの手で進めようとしており、のちに小栗忠順が進めた兵庫商社や対仏借款も、その流れの先にあります。攘夷を叫んだ高杉自身が、幕府の開国政策の船で海外を見たことになります。
奇兵隊の結成と功山寺挙兵
文久三年(1863年)五月、長州藩は朝廷の攘夷の命を実行するとして、下関海峡を通る外国船を砲撃しました。翌月、アメリカとフランスの軍艦に報復されて砲台を破壊され、藩の正規兵の弱さがあらわになります。
このとき藩から下関の防備を任された高杉が結成したのが、奇兵隊です。武士だけでなく、農民や町人も志願すれば入隊できる軍隊でした。身分を問わず兵を集めるこのやり方は、長州藩の諸隊として各地に広がっていきます。奇兵隊については農民も町人も戦力に変えたで詳しく扱っています。
元治元年(1864年)、禁門の変で長州藩が敗れ、四国艦隊の下関砲撃でも敗北すると、高杉は講和の使者として交渉の席に立ちました。その後、幕府に恭順しようとする藩内の保守派(俗論派)が実権を握り、高杉は一時、九州へ逃れます。
同じ年の十二月、高杉は下関の功山寺で挙兵しました。従ったのは伊藤博文の力士隊など、わずか数十人ほどだったといわれます。やがて奇兵隊などの諸隊が合流し、翌年の初めには保守派を退けて、藩の主導権を取り戻しました。この功山寺挙兵が、長州藩を倒幕へ向かわせる転換点になります。
第二次長州征討—小栗忠順らが推した戦いを迎え撃つ
藩論を変えた長州藩に対し、幕府はふたたび征討の軍を起こします。この第二次長州征討を強く推し進めたのが、幕府の中で軍制改革と財政を担っていた小栗忠順らでした。小栗は、長州を屈服させたうえで幕府の権威を立て直そうと考え、フランスの協力を得ながら軍備と資金の手当てを進めていたといわれます。
慶応二年(1866年)六月、戦いが始まると、高杉は海軍の指揮をとり、小型の蒸気船・丙寅丸で周防大島沖に停泊していた幕府艦隊に夜襲をかけました。その後は小倉口の戦いを指揮し、海峡を渡って小倉藩側に攻め込みます。八月、小倉藩は自ら城に火を放って退きました。
将軍・徳川家茂が大坂城で亡くなったこともあって、幕府は征討を中止します。幕府が長州一藩に勝てなかったことは、幕府の権威を大きく揺るがしました。戦いの全体像は四境戦争とは?第二次長州征伐で長州藩が4方向の幕府軍を破った戦いを図解でわかりやすくにまとめています。
幕府の立て直しをはかった小栗にとって、長州征討の失敗は大きな痛手でした。一方の高杉は、勝利のわずか八か月後に病に倒れます。大政奉還も、小栗が新政府軍に斬られる慶応四年の悲劇も、高杉は見ることがありませんでした。
「おもしろきこともなき世を」—下関での最期
高杉は小倉口の戦いのころから結核が悪化し、下関で療養を続けました。慶応三年(1867年)四月十四日、満二十七歳で亡くなっています。
辞世として知られるのが「おもしろきこともなき世をおもしろく」という上の句です。看病していた歌人・野村望東尼が「すみなすものは心なりけり」と下の句を付けたと伝わります。ただし、この句がいつ詠まれたものかについては、亡くなる直前ではなく、もっと前の作とする見方もあります。
大河『逆賊の幕臣』で寛一郎さんが演じる高杉晋作—役どころと史実の見せ場
役どころ(NHKの発表):萩で謹慎中の吉田松陰の松下村塾に入り、その圧倒的な実行力に心酔して生涯の師と仰ぐ長州藩士。江戸に遊学して小栗と出会い、松陰が老中暗殺計画の罪で江戸に送られると、師を救おうと小栗を頼る。松陰の生き方に大きく影響され、長州が生き残るために奇兵隊を創設する
史実から見た見せ場:高杉が戦った第二次長州征討は、小栗忠順らが幕府の威信をかけて推し進めた戦いでした。江戸で出会った二人が、のちに長州と幕府という正反対の陣営で、同じ戦いの両側に立つことになります
大河ドラマ『逆賊の幕臣』では、寛一郎さんが高杉晋作を演じます。2026年10月9日に発表された薩摩・長州側の四人の一人で、師の吉田松陰は中村倫也さんが演じます。
寛一郎さんはコメントで、高杉の「おもしろきこともなき世をおもしろく」という言葉にひかれていること、多くの俳優が演じてきた人物を演じる喜びと緊張を語り、高杉の生き方と言葉から自分なりの高杉像を見つけたいと述べています。
全体の配役は大河『逆賊の幕臣』特集にまとめています。師の松陰については中村倫也さんが演じる吉田松陰とは何をした人物か—黒船に乗り込もうとした長州の兵学者。乗せてもらえなかったポーハタン号に、六年後小栗忠順が乗ったをご覧ください。
高杉晋作の家族・先祖・最期—人物データ
| 家族 | 父は高杉小忠太、母は道。妻は長州藩士・井上平右衛門の娘・雅(まさ)。長男に東一。晩年を支えた愛人のうの(のちの梅処尼)がいます |
|---|---|
| 師 | 吉田松陰。藩校・明倫館、江戸の昌平黌にも学びました |
| 同志 | 久坂玄瑞(松下村塾の双璧)、伊藤博文、山県有朋、井上馨ほか |
| 最期 | 慶応三年四月十四日(1867年5月17日)、下関で結核のため死去。数え二十九歳 |
| 墓所 | 東行庵(山口県下関市吉田)。うのが尼となって墓を守りました |
高杉晋作の逸話
- 文久三年、僧の姿になって「東行」と号しました。西へ旅した歌人・西行にならい、「東の幕府を討ちに行く」という意味を込めたといわれます
- 四国艦隊との講和交渉では、家老の養子「宍戸刑馬」を名乗って交渉の席に立ちました
- 功山寺挙兵の前、身を寄せていた筑前の野村望東尼の平尾山荘で潜伏したと伝わります
高杉晋作のゆかりの地めぐり
- 高杉晋作誕生地(山口県萩市南古萩町)
- 功山寺(山口県下関市長府)。挙兵の地で、境内に高杉の像があります
- 東行庵と高杉の墓(山口県下関市吉田)
- 高杉晋作療養の地・終焉の地(山口県下関市)
- 松下村塾と松陰神社(山口県萩市)
寛一郎さんの歴史ドラマ・映画への出演
- 大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(2022年)公暁
- 大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』(2025年)富本午之助
- 映画『首』(2023年)森蘭丸
- 映画『身代わり忠臣蔵』(2024年)清水一学
※出演歴は公開されている出演作の一覧や報道をもとに、主なものを挙げています。
小栗忠順のゆかりの地をめぐる
小栗のゆかりの地は、東京・横須賀・埼玉・群馬に集まっています。姉妹サイト「日本の歴史旅ガイド」で、都内から回るモデルコースを紹介しています。
- 【現地取材】小栗上野介ゆかりの地を1日でめぐる|築地・雑司ヶ谷・大宮・倉渕の回り方とモデルコース、ゆかりの地一覧(回る順番と移動時間、エリア別の一覧)
- 【現地取材】小栗上野介の生まれた場所はどこ?生誕地・神田駿河台の小栗家屋敷跡と横須賀のゆかりの地(ヴェルニー公園の胸像と、烏川の河原から運ばれた記念石。神田駿河台の生誕地)
- 小栗上野介ゆかりの地 ― 東京・横須賀・埼玉・群馬をたどる(まとめ)
- 倉渕・東善寺をめぐるモデルコース(都内発・車で1泊2日。墓所の東善寺、最期の地、普門院の首塚)
- 横須賀の日帰りコース(都内発。軍港めぐりで、小栗が始めた造船所を海から見られます)
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小栗忠順をもっと知る本
記事の内容をもっと知りたい方に、小栗忠順を扱った本を紹介します。
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2027年NHK大河ドラマ
『逆賊の幕臣』大河ドラマ特集
放送日・キャスト28人と相関・あらすじ・見どころから、主人公・小栗忠順の生涯とゆかりの地の現地写真まで、1ページで徹底解説しています。
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参考資料
一坂太郎『高杉晋作』(文春新書)、梅渓昇『高杉晋作』(吉川弘文館)、東行記念館の展示解説、NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』出演者発表(2026年10月9日)、シネマトゥデイ・ステラnetの出演者発表記事。


