三吉慎蔵 宛
|
原文
|
|
近時新聞
〇薩州大山格之助廿日関ニ来ル。則面会。此人筑前ニ渡り本国に帰ル。其筑前ニ渡る故ハ此度、朝廷より三条卿を初メ五卿を御帰京の事被仰出候よし、此儀ニ依而の事なり。
〇先日井上聞多が京師より下りし時の船ニて、西郷吉ハ帰国致セし。此故ハ薩候御上京の儀を以て下りし。
〇此頃幕ニも大ニおれ合、薩州にこび候事甚しく、然レども将軍ハよ程の憤発にて、平常に異り候事共お〃く、ゆだん不成と申合候。
〇薩の周旋此頃よ程行ハレ、先ニ御引込ニ相成候、廿四卿の御冤罪も相解ケ、筑前の三条卿ハ御帰京の上ハ、天子の御補佐とならさせられ候よし、此儀ハ小松、西郷など決して見込ある事のよし。然レバ先ヅ天下の大幸ともいうべきか、可楽々。
〇此頃将軍ハ海軍を大ニひらかんとて、米国へ大軍艦一艘船人ともに借入候よし。五ヶ年ニて八十万金程費と申事のよし。幕、原一之進が咄し致し候よし。
以上五条二月廿二日認龍馬慎蔵先生足下
|
|
現代文
|
|
最近お聞きしたこと。
○薩摩の大山格之助が20日下関に来る。すなわち面会。この人は大宰府へ行き、そのまま薩摩へ帰る。
○先日井上聞多が京都から帰国する船で、西郷吉之助は帰国するようです。この旨は、薩摩藩主上京(京都へ上る)の準備をするための帰国。
○最近は幕府もおおいに折れあい、薩摩藩にも媚を売ること甚だしく、されど将軍は余程の覚悟で平素とは異なりお供の数も多く油断できない。
○薩摩藩の周旋で、先に処罰を受けた14卿(勤皇派公卿)は赦免され、筑前(大宰府)の三条卿は帰京し天皇の補佐役になるようです。この話は小松・西郷によると見込みのある話だということです。これは天下の幸せとも言うべきなので楽しむべし。
○将軍は海軍をおおいに発展させようとして米国へ軍艦を1艘乗組員共々借りうけようとしている。5ヶ年で80万両程の費用とのことでした。これは幕府の原一之進(水戸藩士:将軍慶喜側近)の話とのことです。
以上5ヶ条です。2月22日龍馬慎蔵先生(長府藩士:三吉慎蔵)
|
目次
この手紙について
長府藩士・三吉慎蔵へ宛てた情勢報告で、耳にした薩摩の動きを箇条書きで伝えています。大山格之助が下関に来ること、西郷吉之助が薩摩藩主の上京準備のため帰国すること、そして幕府がしきりに薩摩に媚びを売っているが、将軍はよほどの覚悟で普段と違う様子であることなど、緊迫する政局の空気を伝えています。倒幕へ向けて水面下で動く薩摩の姿がうかがえる一通です。
宛先「三吉慎蔵」とはどんな人物か
長府藩の藩士で、寺田屋事件で龍馬を救った槍術の名手です。龍馬が政局の生きた情報を、率直に伝え合える信頼の相手でした。
この手紙が書かれたころの龍馬の境遇
薩摩・長州・土佐の動きを結びつけ、情勢の結節点として動いていたころの龍馬です。各藩の要人の往来を細かく把握し、来たるべき大きな政変を見据えていました。
幕末全体の動き(慶応三年)
薩摩が藩主の上京を準備し、四侯を京に集めて幕政を動かそうとするなど、倒幕への布石が進んでいました。幕府はなお踏みとどまろうとしますが、その足元は大きく揺らいでいました。
土佐藩の当時の動き
この時期、土佐藩も薩摩と結んで中央政局へ乗り出そうとしていました。龍馬はその橋渡し役として、薩摩と土佐の連携を進めていきます。
坂本龍馬の手紙139通(現代翻訳文)一覧
坂本龍馬の手紙の一覧を見る