伊藤助太夫 宛
| 原文 |
| 私の志し実ニ十二ぶんもはこび申候間、則大兄ニも兼而御同意の事故、天下の大幸と御よろこび可被遣候。何夕方までの内、御咄し仕候。又商会のものも御引合仕候。四日 草々頓首。九三老兄御直披龍 |
| 現代文 |
| 私の志は実に十二分に運んでおります。すなわち、貴方も兼ねてご同意のことで天下の幸いとお喜びかと思います。何れ、夕方までの間お話しましょう。また、土佐商会のものも引き合わせます。4日龍馬九三老兄(伊藤助太夫)へ |
目次
この手紙について
「私の志は実に十二分に運んでいます。かねてご同意のことで、天下の大幸とお喜びください」と、大きな成功を分かち合う高揚した手紙です。具体名はありませんが、龍馬が生涯をかけた大事が成る前後、慶応三年(一八六七)後半のものとみられます。土佐商会の者も引き合わせるとあり、公私にわたる充実ぶりが伝わります。四日付。
宛先「伊藤助太夫」とは
伊藤助太夫は下関の豪商・船問屋で、龍馬に宿と資金を提供した支援者です。志を分かち合う相手として、龍馬から厚い信頼を寄せられていました。
この手紙が書かれたころの龍馬の境遇
慶応三年、龍馬の構想が次々と形になっていく時期でした。支援者と喜びを分かち合う言葉に、長年の目標が実を結びつつある確かな手応えがにじみます。
幕末全体の動き(慶応三年)
この年の十月には大政奉還が実現し、龍馬の理想が現実の政治を動かしていきました。「天下の大幸」という言葉が、その大きな流れを予感させます。
土佐藩の当時の動き
土佐藩は後藤象二郎を中心に大政奉還を建白し、龍馬の構想がついに藩論として結実していきました。浪士の理想が藩を動かした瞬間でした。
坂本龍馬の手紙139通(現代翻訳文)一覧

