鳳瑞丸【江戸幕府 バーク船 幕末軍艦】

鳳瑞丸
藩名 江戸幕府
藩主 徳川慶喜
船種 バーク船
機関 帆走
備砲 0門
材質 木製
馬力 0馬力
写真

■ 詳細
薩摩藩の島津斉彬は、幕末に西欧列強が武力で圧力をかけてきた際に海防の重要性を認識し、桜島と大隅半島の3ヶ所に造船所を設けて大型船の建造を始めました。

鳳瑞丸は国産の帆船で鹿児島にて建造され、その後、薩摩藩より幕府へ献納されました。

目次

所属した江戸幕府と、軍艦奉行・木村喜毅

この船・鳳瑞丸を運用したのも、江戸幕府です。幕府海軍を組織として支えた人物に、木村喜毅(芥舟)がいます。

木村は軍艦奉行として、咸臨丸の太平洋横断では総責任者を務め、勝海舟や福沢諭吉らを率いてアメリカへ渡りました。私財を投じて随員を支えたことでも知られる、幕府海軍の良心ともいうべき人物です。鳳瑞丸は、そうした人々が動かした幕府海軍の一隻でした。詳しくは幕末の軍艦のページへ。

幕末軍艦一覧リスト

薩摩が造り、幕府へ渡した二隻のうちの一隻です

鳳瑞丸は大元丸とともに、薩摩藩が造って幕府へ渡した船です。研究者のまとめた表はこの二隻を安政二年の項に並べ、建造にかかった費用を四万両としています。薩摩藩は同じころ、日本で最初の国産蒸気船となる雲行丸、それに万年丸と承天丸も造っており、藩が一年のうちに何隻も船を送り出していた時期にあたります。

島津斉彬が船を造らせた七年

島津斉彬は文化六年三月十四日の生まれで、安政五年七月十六日に亡くなりました。藩主でいたのは七年ほどですが、そのあいだに反射炉を築き、造船所を設け、ガラスや紡績にまで手を広げています。集成館と呼ばれたこの工場群は、文久三年の薩英戦争で灰になりました。ただし焼けたあとも元治元年から慶応元年にかけて機械工場が建て直されており、鹿児島の尚古集成館によれば、その当初の目的は洋式船の整備でした。船を造り、焼かれ、また船を直すための工場を建てた、という順になります。

この二隻について、分からないこと

鳳瑞丸と大元丸が、いつどこで起工され、いつどういう経緯で幕府へ渡されたのか、何トンの船だったのか、幕府の手に渡ってからどう使われ、最後はどうなったのかは、調べた範囲では分かりませんでした。薩摩藩の船をまとめた『薩藩海軍史』にあたる必要がありそうです。

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