坂本龍馬は三十三歳で死にました。京都・近江屋で斬られた慶応三年十一月十五日、それで物語は終わります。
けれど、妻のお龍はそこから四十年近く生きました。その四十年が終わった場所が、横須賀です。
三笠公園から車で少し、大津の住宅地の高台に信楽寺(しんぎょうじ)があります。観光地の顔をしていない、ごく普通の静かな寺です。

ごく普通の、静かな寺
説明板によれば、開山は永正元年と伝わる浄土宗の寺。本尊は運慶作と伝える阿弥陀如来で、三浦地蔵尊第二十七番札所でもあります。
戦国のはじめに開かれた寺ですから、幕末どころか龍馬より三百五十年古い。その墓地の一角に、坂本龍馬の妻・龍子(りょう)の墓があります。
寺田屋の夜
お龍は京都下京の医者・楢崎将作の長女です。名は「りょう」ですが、寺田屋にいたころは「お春」と呼ばれ、のちには「鞆(とも)」とも名乗りました。一人の人が生涯に何度も名前を変えている—このことは、あとで効いてきます。

彼女の名を歴史に残したのは、慶応二年一月の寺田屋騒動です。伏見奉行所の捕方が寺田屋を囲んだとき、湯殿にいたお龍が気づき、そのまま二階へ駆け上がって龍馬に知らせた。龍馬は高杉晋作から贈られた拳銃で応戦し、手の指に深い傷を負いながら脱出します。
そのあと二人は薩摩へ下り、霧島で湯治をしました。日本で最初の新婚旅行としてよく語られる、あの旅です。
ここまでが、お龍の「有名なほう」の人生です。二十代半ばまで。
近江屋のあと ― 残された四十年

墓のそばの説明板が、彼女の生涯を驚くほど丁寧に追っていました。要点を拾います。
土佐へ、そして京へ
龍馬の遺言により、お龍は土佐高知の坂本家に入ります。しかし馴染めませんでした。一年半後、妹の起美が嫁いだ土佐和食村の庄屋・千屋家の菅野覚兵衛のもとに身を寄せます。
その後、京都に戻り、さらに西郷隆盛を頼って東京へ移住しました。維新の元勲を頼らなければならなかった、ということです。
神奈川宿の仲居、そして再婚
明治七年ごろ、お龍は神奈川宿の料亭・田中家で仲居をしていました。志士の妻だった人が、東海道の宿場町で客に酒を運んでいる。
明治八年、豊島村深田—いまの深田台—に住む西村松兵衛と再婚し、「ツル」という名で入籍します。
そして明治三十九年一月十五日、深田三二一番地(いまの米が浜通)において、六十六歳で死去。同月、田戸台の聖徳寺でささやかな葬儀が営まれ、荼毘に付されました。
「龍馬之妻」と刻まれた墓

墓碑が建ったのは、死から八年後です。
大正三年八月、元陸援隊副隊長で皇后宮大夫であった香川敬三の寄附などを受け、夫の西村松兵衛らを賛助人として、妹の光枝により、母の貞などが眠るこの信楽寺に建立されました。
刻まれている文字は、「龍馬之妻」。
—ここで立ち止まってしまいました。
この人は西村ツルとして四十年近くを生きたのです。龍馬と暮らしたのは、数えても三年に満たない。それでも墓には龍馬の妻と刻まれる。
それを望んだのが本人だったのか、周囲だったのかは、説明板からはわかりません。香川敬三は中岡慎太郎の陸援隊にいた人ですから、幕末を知る側の思い入れがあったでしょう。妹の光枝にも、夫の西村松兵衛にも、それぞれの気持ちがあったはずです。
ただ、名前を何度も変えて生きた人の墓に、最後にもう一度別の名がつけられた、という事実だけが残っています。
歩いてみて
私は京都の近江屋跡にも立ったことがあります。河原町通の、いまはビルの前です。あそこで感じたのは、事件の生々しさでした。人が斬られた場所の空気です。
信楽寺は、それとまったく種類が違いました。ここには事件がありません。あるのは、事件のあとの時間です。
暗殺された側の物語は一日で終わります。けれど残された側の物語は、そこから四十年続く。土佐に行って馴染めず、京都に戻り、西郷を頼って東京へ出て、宿場の料亭で働き、再婚し、明治三十九年まで生きた。日露戦争が終わった年まで、お龍は生きているのです。
同じ日に記念艦三笠を見ていたので、なおさらそう思いました。三笠が日本海海戦を戦ったのが明治三十八年。お龍が亡くなったのがその翌年。龍馬の妻と、東郷平八郎の旗艦は、同じ時間の中に一年だけ重なっている。
寺は静かで、観光地の設えはありません。墓地の一角に、ほかの墓と並んで立っています。私が行ったときも、ほかに人はいませんでした。そのことが、この場所には合っていると思いました。
毎年秋には、墓前祭にあわせて「おりょうさんまつり」が催されるそうです。
アクセスと地図
信楽寺/神奈川県横須賀市大津町。京急の京急大津駅から徒歩数分の、住宅地の高台にあります。ふつうの寺院なので、参拝の作法で静かに。墓地の一角に説明板が立っているので、それが目印になります。
記念艦三笠からは車で十分ほど、久里浜のペリー上陸記念碑へもここから続けて回れます。横須賀は、幕末の入口と出口が同じ市内にある町です。
現地を訪ねるときの宿は、じゃらんnetの「横須賀中央周辺の宿」で探せます(PR)。
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この記事の取材と情報源について
現地を訪ねて撮影した写真と、現地に設置されている解説板・碑文の記載をもとに書いています。史実にあたる部分は、あわせて公開されている文献資料で確認しています。
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