| 甲鉄艦(東艦:ストーンウォール・ジャクソン号) | |||
| 藩名 | 新政府 | ||
| 藩主 | 明治天皇 | ||
| 船種 | バーク級装甲衝角艦 | ||
| 機関 | 蒸気内車 | ||
| 備砲 | 7門 | ||
| 材質 | 木製 | ||
| 馬力 | 1200馬力 | ||
| 写真 | 有 | ||
■ 詳細
原名ストーンウォール・ジャクソン号。南北戦争中の1864年に南軍がフランス・ボルドー造船所に発注したが、完成時には既に戦争が終結しており、アメリカは幕府に40万ドルで売却しました。戊辰戦争終結後、明治政府に甲鉄艦を引き渡しました。その後の函館戦争でも明治政府艦隊の旗艦として活躍しました。
南北戦争生まれの装甲艦「甲鉄(東艦)」
甲鉄艦は、もともとアメリカ南北戦争の時期にフランスで建造された装甲艦「ストーンウォール」で、船首に衝角(ラム)を備えた当時最新鋭の軍艦でした。幕府がこれを購入する契約を結んでいましたが、日本に到着したときにはすでに幕府が倒れており、アメリカは局外中立の立場からいったん引き渡しを保留します。最終的に1869年(明治二年)、成立まもない明治新政府に引き渡され、「東艦(あずまかん)」と改称されました。
宮古湾海戦とアボルダージュ
この装甲艦をめぐって起きたのが、1869年の宮古湾海戦です。旧幕府軍は、圧倒的な防御力を持つ甲鉄を奪い取ろうと、回天丸などを繰り出して敵艦に乗り移る「アボルダージュ(接舷斬り込み)」を敢行しました。しかし甲鉄側の激しい銃撃と、両艦の甲板の高低差に阻まれて作戦は失敗に終わります。この斬り込みには、新選組副長・土方歳三も加わっていたと伝えられます。
箱館戦争での主力艦
その後、東艦は新政府艦隊の主力として箱館攻撃に投入され、旧幕府勢力の抵抗を打ち破る一翼を担いました。幕末から明治初期にかけて、日本が本格的な装甲軍艦を保有した最初期の例として、海軍史のうえで重要な一隻です。
甲鉄艦(東艦)をもっと深く—六つの名を持って海を渡った装甲艦
南軍のために、フランスで秘密に造られた
この船の経歴は、幕末の艦船のなかでも群を抜いて込み入っています。
1863年、アメリカ南軍がフランスのボルドーにあるアルマン社に発注しました。ただし中立国が交戦国の軍艦を造ることは表向き許されません。そこで名前を変えながら持ち主を偽装していきます。当初は「スフィンクス」、次にデンマークへ売られて「ステーアコザ」、フランスに戻って「オリンダ」、そして南軍の手に渡って「ストーンウォール」。
南北戦争が終わるとキューバへ一万六千ドルで手放され、それをアメリカ政府が買い戻します。慶応三年(1867年)、幕府の使節が四十万ドルでの購入を約束し、慶応四年に横浜へ到着しました。フランス生まれ、デンマーク・キューバ・アメリカを経て日本へ—五つも六つも国旗を替えた船です。
要目—当時の日本近海で最強
| 建造 | フランス・ボルドー(1864年進水) |
|---|---|
| 旧名 | スフィンクス → ステーアコザ → オリンダ → ストーンウォール |
| 排水量 | 1,390英トン(1,800トンとする資料もあり) |
| 形式 | 装甲艦(艦首に衝角) |
| 推進 | スクリュー2軸 |
| 出力 | 1,200馬力 |
| 速力 | 10.5〜10.8ノット |
| 備砲 | 300ポンド砲1門、70ポンド砲2門ほか。加えてガトリング砲 |
| 購入価格 | 400,000ドル |
港にいながら、どちらのものでもなかった
船が横浜に着いたとき、日本ではすでに鳥羽・伏見の戦いが起きていました。アメリカは局外中立を宣言し、内戦の決着がつくまでどちらにも引き渡さないと通告します。
日本近海で最強の軍艦が、横浜に係留されたまま、戦争を眺めていたことになります。旧幕府側も新政府側も、この一隻さえ手に入れば勝てると考えていました。
奥羽越列藩同盟が崩れ、榎本武揚が蝦夷地に拠ったころ、アメリカは明治政府を正統な政府と認めて中立を撤廃しました。明治二年、甲鉄は新政府へ引き渡されます。一隻の船の帰属が、戦争の帰趨をそのままなぞって決まりました。
宮古湾のガトリング砲
明治二年三月、甲鉄は新政府艦隊の旗艦格として箱館へ向かう。その途上の宮古湾で、旧幕府軍の回天丸が単艦で突入し、乗り移って奪い取ろうとしました。
これを防いだのが、甲板に据えられていたガトリング砲です。斬り込み隊は掃射されて後退し、薩摩藩の春日丸も加勢に回って作戦は失敗しました。旧幕府軍はこの日、制海権を取り返す最後の機会を失っています。
「東艦」として
明治四年、甲鉄艦は「東艦」と改称されました。日本海軍が最初に持った装甲艦であり、明治二十一年に廃船となるまで籍にありました。
南軍のために秘密裏に造られた船が、めぐりめぐって日本海軍の第一号の装甲艦になります。幕末の日本が世界の内戦の余り物を買い集めて海軍を作っていたことが、この一隻によく表れています。開陽丸のような新造艦は例外で、多くは他国で役目を終えた中古船でした。
幕末軍艦一覧リスト
参考資料:Wikipedia日本語版「甲鉄艦」、Wikipedia日本語版「幕府海軍」ほか、博物館・自治体の公開資料。資料によって要目や日付が食い違う場合は、本文でその旨を書いています。
甲鉄を手に入れた新政府——「局外中立」とは
局外中立 甲鉄は、もともと幕府がアメリカに注文した軍艦でした。ところが船が日本に着いた慶応四年(1868)には戊辰戦争が始まっており、アメリカなどの各国は、新政府と旧幕府のどちらにも味方しない「局外中立」を宣言して、船の引き渡しを止めます。どちらかに渡せば、戦争の一方に肩入れすることになるからです。
引き渡しと箱館戦争 やがて新政府の優勢がはっきりすると、各国は明治元年(1868)の暮れに局外中立を解き、甲鉄は翌明治二年に新政府に引き渡されました。最新の装甲艦を得た新政府の艦隊は箱館へ向かい、旧幕府の海軍は宮古湾でこの甲鉄を奪おうとして失敗します。甲鉄は箱館戦争の勝敗を決める船となりました。

