三吉慎蔵 宛(68通目) 坂本龍馬の手紙 原書と現代文翻訳

三吉慎蔵 宛

原文

近時新聞
〇薩州大山格之助廿日関ニ来ル。則面会。此人筑前ニ渡り本国に帰ル。其筑前ニ渡る故ハ此度、朝廷より三条卿を初メ五卿を御帰京の事被仰出候よし、此儀ニ依而の事なり。
〇先日井上聞多が京師より下りし時の船ニて、西郷吉ハ帰国致セし。此故ハ薩侯御上京の儀を以て下りし。
〇此頃幕ニも大ニおれ合、薩州にこび候事甚しく、然レども将軍ハよ程の憤発にて、平常に異り候事共お〃く、ゆだん不成と申合候。
〇薩の周旋此頃よ程行ハレ、先ニ御引込ニ相成候、廿四卿の御冤罪も相解ケ、筑前の三条卿ハ御帰京の上ハ、天子の御補佐とならさせられ候よし、此儀ハ小松、西郷など決して見込ある事のよし。然レバ先ヅ天下の大幸ともいうべきか、可楽々。
〇此頃将軍ハ海軍を大ニひらかんとて、米国へ大軍艦一艘船人ともに借入候よし。五ヶ年ニて八十万金程費と申事のよし。幕、原一之進が咄し致し候よし。

以上五条二月廿二日認龍馬慎蔵先生足下

現代文

最近お聞きしたこと。
○薩摩の大山格之助が20日に下関へ来ました。すなわち面会。この人は大宰府へ行き、そのまま薩摩へ帰る。
○先日井上聞多が京都から帰国する船で、先日、井上聞多が京都から下ってきた時の船で、西郷吉之助は帰国しました。この旨は、薩摩藩主上京(京都へ上る)の準備をするための帰国。
○最近は幕府もおおいに折れあい、薩摩藩にも媚を売ること甚だしく、しかし将軍はよほど奮い立っていて、普段と違うことも多く、油断はできないと言い合っています。
○薩摩藩の周旋で、先に処罰を受けた24卿(勤皇派公卿)は赦免され、筑前(大宰府)の三条卿は帰京し天皇の補佐役になるようです。この話は小松・西郷によると見込みのある話だということです。これは天下の幸せとも言うべきなので楽しむべし。
○将軍は海軍をおおいに発展させようとして米国へ軍艦を1艘乗組員共々借りうけようとしている。5ヶ年で80万両程の費用とのことでした。これは幕府の原一之進(水戸藩士:将軍慶喜側近)の話とのことです。

以上5ヶ条です。2月22日龍馬慎蔵先生(長府藩士:三吉慎蔵)

出典:原文は宮地佐一郎編『龍馬の手紙』(講談社学術文庫)によります。現代文は、運営者がこの原文をもとに独自に訳したもので、解説も運営者が書いています。

目次

この手紙について

長府藩士・三吉慎蔵へ宛てた情勢報告で、耳にした薩摩の動きを箇条書きで伝えています。大山格之助が下関に来ること、西郷吉之助が薩摩藩主の上京準備のため帰国すること、そして幕府がしきりに薩摩に媚びを売っているが、将軍はよほどの覚悟で普段と違う様子であることなど、緊迫する政局の空気を伝えています。倒幕へ向けて水面下で動く薩摩の姿がうかがえる一通です。

宛先「三吉慎蔵」とはどんな人物か

長府藩の藩士で、寺田屋事件で龍馬を救った槍術の名手です。龍馬が政局の生きた情報を、率直に伝え合える信頼の相手でした。

この手紙が書かれたころ

薩摩・長州・土佐の動きを結びつけ、情勢の結節点として動いていたころの龍馬です。各藩の要人の往来を細かく把握し、来たるべき大きな政変を見据えていました。薩摩が藩主の上京を準備し、四侯を京に集めて幕政を動かそうとするなど、倒幕への布石が進んでいました。幕府はなお踏みとどまろうとしますが、その足元は大きく揺らいでいました。この時期、土佐藩も薩摩と結んで中央政局へ乗り出そうとしていました。龍馬はその橋渡し役として、薩摩と土佐の連携を進めていきます。

下関で書き留めた「五卿御帰京」のうわさと、その後の実際

「二月廿二日」とだけ記されたこの情報メモを、宮地佐一郎は慶応三年と比定し、『龍馬の手紙』の五十六番に収めています。六日前の二月十六日付けの三吉宛て(五十五番)で、龍馬は十日に長崎から下関の伊藤助太夫方へ戻ったこと、妻の置き所に困って連れてきたことを知らせています。「廿日関ニ来ル」とある大山格之助との面会は、この下関滞在中のことになります。原本は、宮地の本の写真説明によれば長府博物館の所蔵です。

手紙は、朝廷が三条実美ら五卿の帰京を命じたと伝え、大山が筑前へ渡るのもそのためだと記しています。ただし龍馬は「被仰出候よし」と、あくまで伝え聞いた話として書いています。国立国会図書館国際子ども図書館の解説では、三条が京都へ戻るのは王政復古の後とされており、この時点ではまだ実現していません。最後の条の、幕府が米国から軍艦を船員ごと借り入れるという話も、幕府側の原一之進が語ったこととして、出どころを添えて書き留めています。

同じころの土佐藩—商いと軍備の強化

土佐藩では 慶応三年(1867)の初め、土佐藩は長崎の土佐商会を通じて、樟脳や紙・鰹節などの国産品を売り、その代金で蒸気船や洋式銃を買い入れていました。商会の実務を担ったのは岩崎弥太郎です。藩は龍馬の亀山社中を藩の外郭の組織として取り込み、海の仕事を任せることにしました。四月に生まれる海援隊です。

三吉慎蔵と龍馬 龍馬は長府の三吉慎蔵に宛てて、こうした新しい動きを知らせています。脱藩浪士だった龍馬が、藩の後ろ盾を得て大きな仕事に乗り出そうとしていた時期の一通です。

坂本龍馬の手紙を時代順に読む(一覧の68通目/全135通)

◀ 前の手紙:伊藤助太夫 宛
次の手紙 ▶:伊藤助太夫 宛

手紙の一覧に戻る / 亀山社中と海援隊 / 海援隊士一覧 / 近江屋跡(現地取材)

坂本龍馬の手紙139通(現代翻訳文)一覧

坂本龍馬の手紙の一覧を見る

  • URLをコピーしました!
目次