| 石井清之進 | |||
| 職名 | 平隊士 | ||
| 出身 | 不明 | ||
| 終焉場所 | 不明 | ||
| 終焉方法 | 不明 | ||
詳細は不明です。
目次
石井清之進をもっと深く——近藤勇を守って死んだ、とされる隊士
この人には「近藤勇の護衛として討死した」という話が伝わっています。ただし、その根拠をたどっていくと、意外なところに行き着きます。
墨染事件——慶応三年十二月十八日
まず、事件そのものは確かです。
慶応三年十二月十八日の夕刻、近藤勇は二条城からの帰り道、伏見街道の墨染から丹波橋のあたりで狙撃されました。右肩に被弾しています。
撃ったのは御陵衛士の残党でした。篠原泰之進・阿部十郎・内海次郎・加納道之助・富山弥兵衛・佐原太郎ら。実際に銃を撃ったのは阿部と富山とされます。
ひと月前の油小路で伊東甲子太郎を暗殺された、その報復です。
「同行した隊士が斬られた」という伝
この襲撃で、近藤に同行していた石井清之進(石井勇之進とも書かれます)と馬丁がその場で斬殺された、と複数の資料が記しています。
ところが、ここに大きな留保が要ります。
- この人物の存在は、永倉新八の記録にしか出てきません
- 篠原泰之進の日記や島田魁日記にもとづく墨染事件の記述には、供の者や隊士の死亡がまったく出てきません
- 同じ日に死亡が確認されている井上新左衛門と、同一人物ではないかという指摘があります
それでも、この名前を消せない理由
石井清之進の墓は、東京都北区滝野川の寿徳寺境外墓地——近藤勇の供養塔が立つ、あの場所にあります。
明治九年に永倉新八が建てたあの碑には、側面に百十名の名が刻まれています。永倉が書き留めたから、この名前は残りました。そして永倉が書き留めたことしか根拠がありません。
新選組の隊士名簿は複数の系統があって錯綜しており、大半の隊士は名前と役職しか伝わっていません。石井清之進は、その錯綜がいちばん分かりやすく出ている一人です。近藤を守って死んだのか、井上新左衛門と同じ人なのか、そもそも別人なのか——確かめる術が、いまのところありません。
新選組隊士全456名情報

