| 大野丸 | |||
| 藩名 | 大野藩 | ||
| 藩主 | 土井利忠 | ||
| 船種 | スクーナー船 | ||
| 機関 | 帆走 | ||
| 備砲 | 0門 | ||
| 材質 | 木製 | ||
| 馬力 | 0馬力 | ||
| 写真 | 絵図 | ||
■ 詳細
長18間・幅4間・国産。
江戸時代末期の安政年間に、大野藩が樺太開拓用に建造した西洋式帆船。日本の国産洋式帆船として初期の例のひとつで、幕府建造の「箱館丸」などと同型です。主に交易に使用されており大野藩の金庫を潤わせました。
元治元年(1864年)8月24日、択捉島へ鮭の積み取りに向かう途中、根室沖で座礁し沈没しました。乗員は搭載の伝馬船で脱出し、全員無事でした。
所属した大野藩と幕末の動き
この洋式帆船・大野丸を建造・運用したのは、越前の大野藩(土井家)です。大野丸は小藩には珍しい自前の西洋式帆船で、日本海から蝦夷地・樺太へと乗り出し、交易や開拓に使われました。
その背景には、名君・土井利忠の思い切った藩政改革があります。利忠は「更始の令」を発して財政を立て直し、藩営商店「大野屋」を各地に展開、洋学を奨励し、蝦夷地の開拓にも乗り出しました。大野丸はその開明的な挑戦の象徴で、幕末の小藩がいかに知恵と気概で時代に立ち向かったかを伝える一隻です。
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造られたのは越前ではなく、川崎でした
大野丸は安政五年六月に竣工した船ですが、造られた場所は越前大野ではなく、天領だった川崎の稲荷新田です。手がけたのは栖原長七で、費用はおよそ一万両かかりました。長さ十八間・幅四間・深さ三間、二本マストのトップスル・スクーナーという姿は、幕府の箱館奉行所が造った函館丸とほとんど同じです。函館丸と龜田丸の二隻を箱館形と呼びますが、大野丸はその同じ型で別に造られた船にあたります。
山あいの藩が、蝦夷地へ船を出しました
大野藩は越前の山あいにあって海を持ちません。その藩が船を持ったのは、藩主・土井利忠の進めた立て直しの一環で、蝦夷地や樺太を開いて交易することを狙ってのことでした。安政五年九月十二日に品川を出て敦賀を経て北へ向かい、安政六年四月二十三日に初めて蝦夷地へ渡っています。
根室の沖で沈みました
元治元年八月二十四日、択捉島へ鮭を積みに向かう途中、根室の沖で座礁して沈みました。乗っていた者は伝馬船で逃れ、全員無事でした。六年ほど働いた船です。なおこの記事の表は藩主を堀利忠としていましたが、正しくは土井利忠で、表を改めました。堀利煕は箱館丸の進水式に臨んだ箱館奉行の名で、そちらと混ざったものとみられます。

