| 神力丸 | |||
| 藩名 | 尾張藩 | ||
| 藩主 | 徳川慶勝 | ||
| 船種 | スクーナー船 | ||
| 機関 | 帆走 | ||
| 備砲 | 0門 | ||
| 材質 | 木製 | ||
| 馬力 | 0馬力 | ||
| 写真 | スケッチ | ||
■ 詳細
原名「ワンデレン」175トン。
1853年にアメリカにて建造されました。
文久2年12月、尾州藩が横浜にて1万元で購入した西洋式帆船です。
目次
所属した尾張(名古屋)藩と幕末の動き
この軍艦・神力丸を運用したのは、御三家筆頭の尾張藩(名古屋藩・徳川家)です。六十二万石の大藩で、洋式の艦船もそろえていました。
御三家筆頭でありながら、幕末の尾張藩は早くから新政府方に立ちました。藩主・徳川慶勝は、鳥羽・伏見の戦いののち藩内の佐幕派を粛清する「青松葉事件」を断行し、さらに東海道・中山道沿いの諸藩を説いて勤皇へと導きました。将軍家に最も近い一門が官軍側についたことは、維新の趨勢を大きく後押しします。神力丸は、その決断の時代を生きた尾張藩の一隻です。
幕末軍艦一覧リスト
この船の記録が、見つかりません
神力丸について、原名ワンデレン、百七十五トン、一八五三年のアメリカ建造、文久二年十二月に横浜で買った、という記述の裏づけを、調べた範囲では見つけられませんでした。それどころか、尾張藩が幕末に持っていた船をまとめた資料そのものが見あたりません。六十二万石の御三家筆頭でありながら、この藩の海の備えについて公に読める記録がほとんど残っていないことになります。
青松葉事件
この記事にある青松葉事件は、慶応四年正月の二十日から二十五日にかけての出来事です。名古屋市博物館の解説も、尾張藩が佐幕派とされた藩士十四名を処刑した事件としています。斬首が十四名、隠居や禁固などの処分を受けた者が二十名を数えました。正月二十日に渡辺新左衛門ら三名が斬られたのを皮切りに、二十五日までのあいだに次々と刑が執行されています。藩主の徳川慶勝は、姦徒を誅せよという勅命を受けて帰国した直後にこれを行いました。慶勝は文政七年三月十五日の生まれで、明治十六年八月一日に亡くなっています。

