| 啓明丸 | |||
| 藩名 | 加賀藩 | ||
| 藩主 | 前田慶寧 | ||
| 船種 | 輸送船 | ||
| 機関 | 帆走 | ||
| 備砲 | 0門 | ||
| 材質 | 木製 | ||
| 馬力 | 0馬力 | ||
| 写真 | 絵図 | ||
■ 詳細
イギリス製の木製帆船です。
慶応2年5月に長崎にて加賀藩が12000元にて購入しました。
しかし、同年12月に常陸那珂湊で破船してしまいます。
目次
所属した加賀藩と幕末の動き
この軍艦・啓明丸を運用したのは、加賀藩(金沢藩・前田家)です。百万石を誇る日本最大の大名家で、その財力で洋式の艦船もそろえました。
もっとも、幕末の加賀藩はその巨体ゆえに動きが鈍く、佐幕とも勤皇とも決めかねる立場が続きました。長州征伐には幕府方として動員される一方、藩内では軍制の洋式化や財政改革も進められます。最終的には新政府方につきましたが、百万石の実力を維新で存分に発揮したとは言いがたく、「加賀は動かず」とも評されました。啓明丸は、その巨藩・加賀が持った一隻です。
幕末軍艦一覧リスト
買って七か月で壊れた船です
慶応二年五月に長崎で一万二千ドルを払い、その年の十二月には常陸の那珂湊で壊れています。手元にあったのは七か月ほどでした。加賀藩の船はどれも長くは保たず、文久二年の暮れに横浜で六万五千両で買った発機丸は慶応元年に大きく壊れて直しきれず錫懐丸と名を改め、慶応元年十月に長崎で十一万二千ドルで買った李白里丸も、北越戦争で兵を運んだのち明治元年八月に越後の松ヶ崎沖で座礁して沈みました。百万石の藩が三隻を買って、三隻とも数年のうちに失ったことになります。
那珂湊という場所
啓明丸が壊れた常陸の那珂湊は、元治元年に天狗党をめぐる戦いのあった土地です。慶応二年十二月といえば、その二年後にあたります。加賀藩の船が何をしにそこまで行っていたのかは、分かりませんでした。

