小田原城といえば、まず北条氏の城として浮かびます。ただ、この城が最後に戦場になったのは戦国ではありません。慶応四年(1868年)の夏、箱根の山で旧幕府の遊撃隊と撃ち合ったのが、小田原藩の最後の戦いでした。

天守は昭和三十五年に復興しました
小田原城公式によれば、いまの天守は昭和三十五年(1960年)五月、市制二十周年の記念事業として復興されたものです。総工費は八千万円。宝永年間の再建のときに作られた模型(雛型)や設計図(引き図)を参考にした外観復元で、勝手に想像で建てたものではありません。
元禄十六年(1703年)の大地震で城のほとんどの建物が倒壊・焼失し、天守が再建されたのは宝永三年(1706年)でした(小田原市公式)。その宝永の天守の図面が、二百五十年後の復興の下敷きになったことになります。
門もそれぞれ違う時期に復元されています。常盤木門は昭和四十六年三月、銅門(あかがねもん)は平成九年十月、馬出門は平成二十一年三月の完成です。二の丸と馬屋曲輪を結ぶ住吉橋は平成二年に江戸時代の姿へ復元され、平成三十年三月四日に架け替え後の開通を迎えました。


五層の天守と、平成の大改修
天守は平成二十七年(2015年)七月から翌年四月にかけて大改修を受けました。各階に耐震ブロックを入れ、外壁を全面塗装し、常設展示も全面的に入れ替えています。いまの展示は、一階が江戸時代の小田原城、二階が北条氏と戦国期の小田原城、最上階の五階が江戸時代の天守にまつられていたとされる摩利支天像を安置した空間です。


小田原評定の人形が座っています

城内には、烏帽子をかぶった人形が車座に座る展示があります。小田原評定です。
世界大百科事典は、天正十八年(1590年)に秀吉が後北条氏を攻めたとき、「城内の評定で対策が評議されたが、空しく日を過ごすのみ」だったと書いています。日本大百科全書も、和戦について相談したが決着せず時間を浪費した故事としています。長引くばかりで結論の出ない会議を「小田原評定」と呼ぶのは、ここから来ています。
面白いのは、ことわざを知る辞典が北条氏が代議制の評定所を設けたことが議論の長期化の一因としている点です。合議の仕組みを持っていたことが、悪口の語源になってしまったわけです。
国の史跡としての小田原城跡
小田原市公式によれば、小田原城跡が国の史跡に指定されたのは昭和十三年(1938年)八月八日です。その後の追加指定は十回を超え、直近では令和七年九月十八日にも追加されています。指定面積は約三十万九千平方メートルです。
発掘も続いています。御用米曲輪では建物をともなう池や庭園の跡が見つかり、戦国時代の切石敷の遺構も確認されました。北条氏の文化を伝えるものとして注目されています。
幕末の小田原藩と、箱根戦争
ここからが幕末です。小田原藩(→小田原藩)の最後の藩主は大久保忠礼。日本人名大辞典によれば天保十二年十二月二日の生まれで、讃岐高松藩主松平頼恕の子、徳川慶喜の従弟にあたります。安政六年に小田原藩主となりました。
慶応四年、東海道を東へ進む新政府軍は二月二十八日に箱根の関所を占領し、小田原藩に預けます。ところがその後、上総から上陸してきた旧幕府方が小田原に働きかけました。請西藩主の林忠崇と、遊撃隊の伊庭八郎らです。鋸南町公式によれば、忠崇は慶応四年閏四月三日に藩兵約七十名と遊撃隊士三十六名を率いて真武根陣屋を出発し、館山から船で真鶴へ渡りました。途中、館山藩からも十四名が加わっています。
小田原藩は態度を決めかねました。箱根旅館協同組合の「箱根百科」は、五月に入って藩論がひっくり返り遊撃隊が城内に入ったこと、しかし藩士中垣謙斉の説得で小田原藩が遊撃隊と絶縁したことを記しています。
そして五月二十六日、湯本山崎。大砲台を築いた小田原藩と遊撃隊が撃ち合い、新政府軍の援護射撃もあって遊撃隊が敗れました。湯本茶屋は遊撃隊の放火で全戸が焼け、堂ヶ島の再戦で七名が戦死しています。翌日、残った者は鞍掛山から熱海へ下り、海路で脱出しました。
代償は小さくありません。同年九月、忠礼は蟄居を命じられ、藩領は没収されて江川太郎左衛門の監視下に置かれました。世界大百科事典は「旧幕府遊撃隊に呼応したため藩主忠礼は永蟄居、禄高7万5000石に減じられた」と書いています。十一万三千石からの減封です。
忠礼はのちに赦され、明治八年に家督を再び継いで子爵となりました(Wikipedia)。明治三十年八月十日に五十七歳で亡くなっています。藩校は集成館、のちの文武館です。廃藩置県では小田原県となり、足柄県を経て明治九年に神奈川県へ入りました。
戦国の終わりの舞台になった城が、二百七十八年後にもう一度、旧幕府方と新政府方のあいだで揺れた。小田原城を歩くと、その二つの時代が同じ石垣の上に重なって見えます。
場所・アクセス・地図
小田原城/神奈川県小田原市城内。JR小田原駅から徒歩およそ十分。天守閣は九時から十七時(入館は十六時半まで)、十二月の第二水曜と年末年始が休館です。常盤木門SAMURAI館、歴史見聞館(NINJA館)もあります。入館料は公式サイトでご確認ください。

