幕末に現れた“機関砲”——河井継之助が愛したガトリング砲

一分間に数百発——引き金を引き続けなくても、ハンドルを回すだけで弾丸を浴びせ続ける。そんな“機関砲”が、幕末の日本にも持ち込まれていました。ガトリング砲です。とりわけ、越後の長岡藩でこの兵器を戦力に加えた家老・河井継之助の逸話は広く知られています。連発銃のスペンサーですら7発だった時代に、桁違いの連射を可能にしたガトリング砲とは、どのような兵器だったのでしょうか。

ガトリング砲のイラスト
ガトリング砲(イラスト)
目次

ガトリング砲とは——回転する銃身の連射兵器

ガトリング砲は、アメリカのガトリングが開発した初期の機関砲です。複数の銃身を束ねて円状に配置し、手回しのハンドル(クランク)で全体を回転させる——すると、各銃身が順ぐりに装填・発射・排莢を繰り返し、弾丸を連続して撃ち出すという仕組みでした。一挺の銃では追いつかない連射を、複数の銃身を回転させることで実現したのです。

仕組みと威力

ハンドルを回す速さに応じて、ガトリング砲は毎分数百発ともいわれる猛烈な火力を叩き出しました。密集した敵の隊列に向けて撃てば、まさになぎ倒すような効果を発揮します。一発ずつ撃つ前装銃が主流だった時代に、この連射能力は圧倒的でした。

ただし、当時のガトリング砲は大きく重く、手回し式ゆえに操作にも人手が要りました。持ち運びや取り回しは簡単ではなく、扱いには習熟が求められます。それでも、うまく使えば戦局を左右しうる強力な兵器だったことは間違いありません。

宮古湾海戦の甲鉄——斬り込み隊を阻んだ連射

ガトリング砲の威力を伝える有名な逸話が、1869年(明治2年)の宮古湾海戦です。旧幕府軍は、新政府軍の装甲艦・甲鉄(東艦)を奪い取ろうと、軍艦・回天丸を接舷させて敵艦へ乗り移る「アボルダージュ(斬り込み)」を敢行しました。しかし甲鉄は重い装甲をまとって船体が低く、対する回天の甲板は高いため、その差はおよそ3メートル。斬り込み隊は高い船べりから飛び降りるほかなく、身動きの取りづらいところを、甲鉄に据えられていたとされるガトリング砲の猛烈な連射が襲います。次々と撃ち倒され、決死の斬り込みは失敗に終わりました。この斬り込みには、新選組の土方歳三も加わっていたと伝えられます。

もっとも、実際に甲鉄へガトリング砲が積まれていたかどうかは、乗組員の証言などから異論もあり、はっきりとは分かっていません。それでも「回転する銃身の連射が斬り込み隊をなぎ倒した」というこの逸話は、ガトリング砲の恐るべき威力を象徴する話として、今も語り継がれています。

ガトリング砲 スペック(性能一覧)

種別 手回し式・回転銃身機関砲
発射方式 ハンドル(クランク)回転による連続射撃
発射速度 毎分およそ数百発(諸説あり)
弾薬 金属製薬莢
製造国 アメリカ
主な使用 長岡藩(河井継之助)ほか

河井継之助と北越戦争

幕末の日本で、ガトリング砲はごく少数しか輸入されなかったといわれます。そのうちの貴重な一部を手に入れたのが、長岡藩の家老・河井継之助でした。藩の財政を立て直し、最新兵器で武装して「武装中立」を目指した継之助にとって、ガトリング砲はまさに理想の兵器だったのでしょう。

やがて長岡藩は、中立の道を断たれて奥羽越列藩同盟に加わり、北越戦争で新政府軍と激突します。この戦いで、継之助が用意したガトリング砲も火を噴いたと伝えられます。近代兵器を駆使した長岡藩の抵抗は激しく、新政府軍を大いに苦しめました。河井継之助という一人の傑物と、この機関砲の物語は、幕末の技術と人間ドラマが交差する印象深い一場面です。継之助の生涯は、河井継之助の記事で詳しく紹介しています。

まとめ

ガトリング砲は、複数の銃身を手回しで回転させて連続発射する初期の機関砲で、毎分数百発ともいわれる火力を誇りました。幕末の日本ではごく少数が輸入され、長岡藩の河井継之助が北越戦争で用いたことで知られます。銃・大砲の近代化が戦いを変えていった幕末を象徴する兵器の一つです。ほかの火器は銃器の一覧もあわせてどうぞ。

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