2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)は、幕末の幕臣・小栗忠順が主人公です。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。
井上清直(いのうえ きよなお)は、伊豆・下田の奉行として、日本に初めて駐在したアメリカ総領事ハリスと最も長く向き合った幕臣です。岩瀬忠震とともに日米修好通商条約に全権として署名しました。日露和親条約を結んだ勘定奉行・川路聖謨の実の弟でもあります。
大河ドラマ『逆賊の幕臣』の主人公・小栗忠順が遣米使節としてワシントンで交換した批准書は、井上と岩瀬が署名した条約のものでした。
井上清直の大河『逆賊の幕臣』での配役は、2026年10月24日の時点ではまだ発表されていません。発表があり次第、この記事に追記します。
井上清直とは?—先に答え
| 読み方 | いのうえ きよなお |
|---|---|
| 生没 | 文化六年(1809年)〜慶応三年十二月二十五日(1868年1月19日) |
| 生まれ | 豊後日田の代官所に勤めた内藤吉兵衛の子。兄は川路聖謨。旗本・井上家の養子となりました |
| 何をした人 | 下田奉行としてハリスと交渉し、下田協約(日米約定)を結びました。岩瀬忠震とともに全権として日米修好通商条約に署名しました |
| 小栗との接点 | 井上が署名した条約の批准書を、小栗が遣米使節としてワシントンで交換しました |
| 最期 | 左遷と再任を繰り返したのち、北町奉行在職中の慶応三年暮れに亡くなりました |
川路聖謨の弟として
井上は、兄の川路聖謨とともに豊後日田で生まれ、江戸に出て幕府の下級役人の家に入りました。兄が勘定所で頭角を現したように、井上も実務の役人として経験を積み、旗本・井上家の養子となります。兄弟そろって、家柄ではなく能力で出世した幕臣でした。兄については川路聖謨とは何をした人物か—御家人の子から勘定奉行へ。プチャーチンが称えた交渉家は、江戸開城の直前に自決したをご覧ください。
下田奉行—ハリスとの一年余り
安政二年(1855年)、井上は下田奉行に任じられます。翌年、アメリカ総領事タウンゼント・ハリスが下田に着任し、玉泉寺に領事館を開きました。日本に外国の外交官が常駐するのは、これが初めてでした。
ハリスは江戸に出て将軍に会い、通商条約を結ぶことを強く求めましたが、幕府はなかなか応じません。その間、井上はハリスとの交渉窓口として、通貨の交換や居住の条件などをめぐって話し合いを重ね、安政四年(1857年)五月、中村時万とともに下田協約(日米約定)を結びました。
日米修好通商条約の全権
同じ年、ハリスの江戸出府が認められると、井上は目付の岩瀬忠震とともに通商条約交渉の全権に任じられました。ハリスを最もよく知る井上と、理論派の岩瀬の組み合わせです。
安政五年(1858年)六月十九日、二人は神奈川沖のポーハタン号艦上で日米修好通商条約に署名しました。条約の批准書は、二年後に遣米使節がワシントンで交換することになり、その使節の一員となったのが小栗忠順でした。条約については日米修好通商条約と安政の大獄とはで詳しく扱っています。
左遷と再任—北町奉行のまま没す
条約調印後、井伊直弼の政権のもとで、井上は安政六年(1859年)に小普請奉行へと移されます。兄の川路と同じく、一橋派に近いと見られたためと考えられています。
しかし外交の実務に通じた人材は貴重で、井上はのちに軍艦奉行、外国奉行(三度)、南町奉行、勘定奉行、関東郡代、北町奉行と、幕府の要職を次々に務めました。慶応三年(1867年)十二月、北町奉行に在職したまま亡くなっています。兄の川路が自決するのは、その三か月足らず後のことでした。
大河『逆賊の幕臣』と井上清直
井上は条約交渉の当事者で、のちには小栗と同じ勘定奉行も務めています。ドラマに条約の場面が描かれるなら、登場する可能性があります。ただし、これは推測です。2026年10月24日の時点で配役は発表されていません。
井上清直のゆかりの地
- 玉泉寺(静岡県下田市)。日本最初のアメリカ総領事館が置かれた寺です
- 下田奉行所跡(静岡県下田市)
小栗忠順のゆかりの地をめぐる
小栗のゆかりの地は、東京・横須賀・埼玉・群馬に集まっています。姉妹サイト「日本の歴史旅ガイド」で、都内から回るモデルコースを紹介しています。
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- 横須賀の日帰りコース(都内発。軍港めぐりで、小栗が始めた造船所を海から見られます)
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小栗忠順をもっと知る本
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▶ 小栗忠順のゆかりの地を歩く(現地取材)
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▶ あわせて読みたい—井上清直と同じ時代の人々
参考資料
外務省外交史料館「日本外交の礎を築いた人々」、『ハリス日本滞在記』、コトバンク「井上清直」、下田市の史跡案内。



