三吉慎蔵 宛

三吉慎蔵 宛

原文

此頃出崎の土佐参政後藤象二郎近頃の人物ニて候。内々御見置可被成候も、よろしからんと存じ、さし出し候龍慎老台おうち様まで御頼申置慎蔵先生左右龍馬─追白、此頃も相不変御いそがしきよしにて候。御出かけなとハ、御無用、其内又参上候。弟拝首。─此十日助太夫方まで帰り申候。折柄、満殊艦出帆の時にて、同人にも吉大夫ニも御目にか〃らず。
〇此度ハ又々家内のおき所にこまりしより、勢止お得ず同行したり。此儀ハ飯田在番ヘハ耳に入置たり。御聞置可被遣候。
〇長崎の勢ハ一向常ニ変りたる事なし。
〇其内、土佐国の勢がよ程なおり、長崎ニ出たる参政後藤象二郎共、小弟に面会、十分議論致したりしに、大ニおもしろき勢、当年七八月の頃ニハ、土佐も立なおりて、昔日の長薩土となりハすまいかと相楽ミ申候。
〇長崎ニて会津の家老神保修理に面会。会津ニハおもいがけぬ人物ニてありたり。其時小弟ハ土佐人高坂龍次郎と申て出かけ、色々おかしき談ありしが、変りたる事なし。

十六日龍馬

現代文

この頃長崎へ出てきた人物は土佐藩参政後藤象二郎という。内々にご存知になっておいて宜しかろうと思い差し出しました。龍馬慎老台(三吉慎蔵:長府藩士)家まで手紙を送ります。慎蔵先生(三吉慎蔵:長府藩士)龍馬追伸この頃は相変わらず忙しいです。こちらまで出てこなくても良いです、その内こちらからお伺いします。今月10日までに助太夫方(伊藤助太夫:下関の豪商)まで帰ります。満殊艦(長府藩船の対馬への訓練航行)が出帆の時は同人にも吉大夫(長府藩家老三吉周亮)にも会わなかった。

○この度は、またまた妻の置き所に困っており、やむおえず一緒に同行してます。この話は飯田在番の人の耳に入れておきたい。宜しくお願いします。
○長崎の皆は一向に変わりありません。
○最近では土佐藩の中身がよほど改まり、長崎に出てきた参政後藤象二郎が私に面会しました。十分話し合ったが大いに面白い人で、当年7月8月頃には土佐藩も改まり、昔の長州藩のようになりはしないかと楽しみです。
○長崎で会津藩の家老神保修理(鳥羽伏見の戦いの責任をとり切腹)に面会しました。会津藩では思いがけないような人物でした。この時私は土佐人の高坂龍次郎という変名で会いましたが別段変わりないです。

16日龍馬

目次

この手紙について

長府藩士・三吉慎蔵へ宛てた手紙で、このごろ長崎に出てきた人物として土佐藩参政・後藤象二郎の名を挙げ、内々に知っておいてほしいと伝えています。かつて土佐勤王党を弾圧した側の重役と、脱藩浪士の龍馬とが手を結ぶという、時代の思いがけない転換を、信頼する友にそっと知らせる一通です。

宛先「三吉慎蔵」とはどんな人物か

長府藩の藩士で、寺田屋事件で龍馬の窮地を救った槍術の名手です。龍馬が身辺の動きや政局の内情を打ち明けられる、数少ない心の許せる相手でした。

この手紙が書かれたころの龍馬の境遇

薩摩・長州に加えて土佐藩とも結び、大政奉還へ向けた工作を進めていたころの龍馬です。かつての敵味方の枠を越えて人を動かす、龍馬ならではの大きな周旋が実を結びつつありました。

幕末全体の動き(慶応三年)

この年、土佐藩が大政奉還の建白へ動き、時代は無血の政権返上という選択肢へと向かっていきます。武力倒幕と平和的解決という二つの道が、緊張のうちに並び立っていました。

土佐藩の当時の動き

後藤象二郎を中心に、土佐藩は大政奉還の実現へと大きく動き出しました。龍馬はその立役者として、故郷の藩を歴史の表舞台へと導いていきます。

坂本龍馬の手紙139通(現代翻訳文)一覧

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