品川省吾 宛
| 原文 |
| 谷氏の書状御取持ニて私を御頼被遣候よし、定而御用事可有之と奉拝察、今より夕方かけ乙丑丸ニ御待申候間、何卒御来光奉願候。頓首々。十六日龍報国隊中品川様坂本龍馬八ツ半頃ニハ必、船にのり候よふ御心積可然候。 |
| 現代文 |
| 谷氏(高杉晋作の変名)の手紙を持って私を訪ねて下さい。さぞかし用事があると推察しますので、今から夕方まで乙丑丸(ユニオン号)で待たせてもらいますね。16日龍馬報国隊宛(長府藩報国隊)品川様(長府藩士品川省吾)八ツ半頃(15時頃)には必ず船に乗るつもりでお願いします。 |
目次
この手紙について
「谷氏の書状で私を頼るとのこと、ご用があるのだろう。夕方まで乙丑丸で待つので来てほしい。八ツ半には必ず乗船を」と、面会を求める手紙です。十六日付、報国隊の品川宛。文中の「谷梅之助(谷氏)」は高杉晋作の変名で、乙丑丸は長州藩の船。高杉を介した長州との深い連携が背景にうかがえます。
宛先「品川省吾」とは
品川省吾(しながわ しょうご)は長州の諸隊のひとつ「報国隊」に属した人物です。高杉晋作の変名「谷梅之助」が仲立ちとなっており、龍馬と長州の結びつきの一端を示す相手といえます。
この手紙が書かれたころの龍馬の境遇
長州の船や諸隊とも連絡を取り、薩摩と長州の間を動いていた慶応年間です。高杉晋作らとの縁が、龍馬の活動の場を大きく広げていました。
幕末全体の動き(慶応年間)
高杉晋作の挙兵で長州は倒幕へ舵を切り、奇兵隊をはじめとする諸隊が力を持ちました。龍馬はその長州と諸藩を結ぶ役割を担っていました。
土佐藩の当時の動き
土佐脱藩の龍馬が、長州の隊士と船上で会する――藩を越えた志士のつながりが、まさに時代を動かそうとしていました。
坂本龍馬の手紙139通(現代翻訳文)一覧

