長崎形【江戸幕府 カッター級輸送船 幕末軍艦】

長崎形
藩名 江戸幕府
藩主 徳川慶喜
船種 カッター級輸送船
機関 帆走
備砲 0門
材質 木製
馬力 0馬力
写真 無
長崎形のイメージイラスト
長崎形のイメージ(イラスト)。記録にある船の型(カッター級輸送船・帆走)をもとに描いたもので、実際の姿ではありません

伝習生が、自分たちで造りました

長崎形は、長崎海軍伝習所の伝習生が長崎の大波止で建造した一本マストのカッター型帆船です。当時はコットル船と呼ばれました。安政三年十月二十一日に起工し、安政四年五月二十五日に進水しています。建造費は二千両。長さ二十一・九五メートル、幅五・四九メートル。瓊浦形、玉浦形とも呼ばれますが、どちらも長崎の古い呼び名です。

勝海舟が、座礁させています

この船には逸話が残っています。勝海舟が指揮した練習の航海の最中に座礁し、船尾を傷めて長崎で修理を受けました。習うために造った船で、習っている最中に乗り上げたことになります。

佐賀藩が、同じ型の船を造りました

長崎形には同じ型の船があります。佐賀藩の晨風丸です。安政四年十一月十一日に起工し、翌安政五年に進水しました。進水式には藩主の鍋島直正が自ら出ています。長さおよそ二十一・八メートル、幅およそ五・七六メートルで五十トン。晨風丸を三重津で造ったとする説明もありますが、三重津に御船手稽古所が置かれたのは安政五年二月で、起工より後になります。晨風丸も長崎の大波止で造られたとする資料のほうが、時系列に合います。

国産の小さな船が、いくつも並んだ時期です

安政の数年間、日本は同じような小さな洋式船を各地で造っています。幕府が伊豆の戸田村と石川島で造った君澤形丸が十隻。仙台藩が松島湾の寒風沢島で造った開成丸が安政四年六月二十八日に進水。長州藩が萩の恵美須ヶ鼻で造った丙辰丸が安政三年。そして長崎形と晨風丸です。大きな蒸気船を買う金のない藩も、まず小さな帆船から手をつけていました。

目次

長崎形を船の型と持ち主から読む

長崎形は帆走の船です。機関も石炭もいらない帆船は、藩にとって安く使いやすい運び手でした。(帆船と蒸気船の違い)船種は「カッター級輸送船」。1本マストの小型の「カッター型」の帆装を持つ人や荷を運ぶ輸送船です(帆の張り方・軍艦の格)。

当サイトで紹介している江戸幕府の船は、この長崎形を含めて39隻あり、そのうち帆船は17隻です。同じ江戸幕府の船には、開陽丸(シップ級フリゲート)、豊安丸(輸送船)、長崎丸(輸送船)、震天丸(輸送船)、高雄丸(砲艦)、龜田丸(スクーナー船)、函館丸(スクーナー帆船)、君澤形丸(スクーナー帆船)などがあります。

持ち主の江戸幕府の幕末をふり返ると、幕府海軍。戊辰戦争では榎本武揚が艦隊を率いて箱館へ渡り、明治2年に降伏。長崎形も、そうした幕府の歩みのなかで使われた一隻です(藩ごとの船と幕末の立場)。

参考資料:Wikipedia日本語版「長崎形」、Wikipedia日本語版「幕府海軍」ほか、博物館・自治体の公開資料。資料によって要目や日付が食い違う場合は、本文でその旨を書いています。

同じころの長崎—長崎製鉄所

飽ノ浦の製鉄所 長崎形が造られた安政四年(1857)、幕府は長崎の飽ノ浦に、船の修理や機械の製作を行う工場の建設を始めました。オランダから技術者と機械を取り寄せたもので、文久元年(1861)に完成し、「長崎製鉄所」と呼ばれます。日本で最初の本格的な洋式の工場の一つです。

三菱長崎造船所へ 長崎製鉄所は明治になって政府の工部省に移り、のちに三菱に払い下げられて、三菱長崎造船所となりました。いまも同じ場所で船が造られています。幕府が長崎で始めた船づくりは、形を変えて現代まで続いているのです。

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