岡内俊太郎 宛
| 原文 |
| 皆様御集ニ相成候得バ、中島作太郎方迄つかい御こし被遣度奉願候。以上。十九日龍楳太郎俊太郎先生左右 |
| 現代文 |
| 皆さまご参集なので、中島作太郎(海援隊士)方まで使いを寄こして下さい。19日龍楳太郎(龍馬変名)俊太郎先生(岡内俊太郎:土佐藩士) |
目次
この手紙について
「皆さまが集まっているので、中島作太郎の所まで使いを寄こしてほしい」という、仲間の招集にまつわる短い連絡です。日付は「十九日」のみで年は不明です。龍馬が海援隊の同志たちと頻繁に連絡を取り合っていた慶応年間の一場面とみられます。せわしなく人を集めて動く、実務家・龍馬の姿が伝わります。
宛先「岡内俊太郎」とは
岡内俊太郎は土佐藩士で、龍馬の身近で連絡役をつとめた人物です。文中の中島作太郎は海援隊士の中島信行のことで、のちに初代衆議院議長や神奈川県知事を歴任しました。龍馬の周りには、こうした後に近代日本を担う若者が集まっていました。
この手紙が書かれたころの龍馬の境遇
海援隊という組織を率い、多くの隊士や協力者と連絡を取りながら動いていた時期です。人を集め、段取りを整えることそのものが、龍馬の仕事の中心にありました。
幕末全体の動き(慶応年間)
慶応の政局は日ごとに動き、志士たちは頻繁な連絡と会合で情勢に対応していました。龍馬の周辺も、その渦の一部でした。
土佐藩の当時の動き
土佐藩は後藤象二郎を中心に、大政奉還へ向けた独自の路線を模索していました。海援隊はその動きを支える人材の供給源でもありました。
坂本龍馬の手紙139通(現代翻訳文)一覧

