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美作宮川藩(津山藩支藩)/関家1万8700石:関長治 本藩である津山藩の廃藩に伴い新見藩へ移封となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 美作宮川藩(津山藩支藩) 【説明】 宮川藩は津山藩の支藩である。津山藩第2代藩主「森長継」の弟の「関長政」が1万8700石を分知され立藩する。元禄10年(1697年)、津山藩森家の廃藩に伴い、第2代藩主「関長治」は新見藩に転封されて廃藩となっ... -
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津山新田藩(津山藩支藩)/森家1万石:森長基 病と偽り江戸へ参府を怠ったため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 津山新田藩(津山藩支藩) 【説明】 貞享3年(1686年)、津山藩3代藩主「森長武」が甥の「森長成」に藩主を譲った際、蔵米2万俵を与えられて立藩した。元禄9年(1696年)、長武の養嗣子となった「長基」が病と称し江戸への参府の命に反したため相... -
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美作勝山藩/三浦家2万3千石:三浦顕次 譜代大名だが佐幕同盟を脱して新政府に従った勝山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 美作勝山藩 【説明】 明和元年(1764年)、譜代大名の「三浦明次」が三河国西尾藩より転封となり立藩された。真島郡内の96村と大庭郡内の1村を与えられ2万3千石で立藩だった。高田城を藩庁としたため当初は高田藩とも称されたが、しばらくして、... -
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母里藩(松江藩支藩)/松平家1万石:松平直哉 第一次長州征伐では消極的な態度に終始した母里藩【幕末維新写真館】
【藩名】 母里藩(松江藩支藩) 【説明】 母里藩は江戸時代中期までは神戸藩と呼ばれたが安来市伯太町西母里の母里陣屋に藩庁が置かれたことから母里藩と呼ばれた。寛文6年(1666年)4月29日、松平家松江藩初代藩主「松平直政」の三男」「隆政」が1万石を... -
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広瀬藩(松江藩支藩)/松平家3万石:松平直巳 幕末では佐幕派と勤皇派で混乱した広瀬藩【幕末維新写真館】
【藩名】 広瀬藩(松江藩支藩) 【説明】 広瀬藩はかつての出雲国の中心地で現在の安来市広瀬地区に広瀬陣屋に藩庁が置かれていた。寛文6年(1666年)、松平家松江藩初代藩主「直政」の次男「近栄」が3万石を分与され立藩した。天和2年(1682年)、近栄は... -
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松江新田藩(松江藩支藩)/松平家1万石:松平近憲 本藩を継いだため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 松江新田藩(松江藩支藩) 【説明】 松江新田藩は、江戸時代中期にあった松江藩の新田分知による支藩である。元禄14年(1701年)松平家松江藩2代藩主「綱隆」の次男「近憲」が1万石を分与され立藩した。近憲は宝永元年(1704年)、兄で3代松江藩... -
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矢橋藩/市橋家2万1300石:市橋長勝 越後三条藩へ加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 矢橋藩 【説明】 「中村一忠」が伯耆米子藩に入封したとき、八橋には一族の「中村一栄」が入部した。しかし慶長14年(1609年)に「中村一忠」が死去して中村氏が改易されると、伯耆国には諸大名が分散配置されることとなり、矢橋には「市橋長勝」... -
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黒坂藩/関家5万石:関一政 家中の内紛により改易・廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 黒坂藩 【説明】 慶長14年(1609年)に「中村一忠」が死去して中村氏が改易されると、伯耆国には諸大名が分散されて配置されることになる。そして翌年、伊勢亀山藩から「関一政」が2万石加増の上の5万石で黒坂藩に入り黒坂藩が立藩された。 一政... -
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倉吉藩/里見家3万石:里見忠義 名門里見氏が安房国から移封され立藩された倉吉藩【幕末維新写真館】
【藩名】 倉吉藩 【説明】 里見氏は安房国の戦国大名「里見義堯」を祖とする外様大名であり、戦国時代末期「里見忠義」は館山藩主として安房一国ならびに常陸国鹿島郡の12万2000石を領していた。慶長19年(1614年)、大久保忠隣が改易されると、忠隣の孫娘... -
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米子藩/加藤家6万石:加藤貞泰 伊予大洲藩へ加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 米子藩 【説明】 慶長14年(1609年)5月11日、「中村一忠」は20歳の若さで急死した。一忠には3人の子供がいたが領国の継承は認められず中村氏は改易となった。慶長15年(1610年)7月19日、美濃黒野藩主「加藤貞泰」が2万石の加増を受け6万石で米... -
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若桜藩(鳥取藩支藩、鳥取西館新田藩)/池田家2万石:池田徳定 禁門の変では幕府軍として戦うも戊辰戦争では鳥取藩と共に新政府に従った若桜藩【幕末維新写真館】
【藩名】 若桜藩(鳥取藩支藩、鳥取西館新田藩) 【説明】 若桜藩は鳥取西館新田藩ともいい、鳥取藩の第2代藩主「池田綱清」が元禄13年(1700年)5月25日に弟の「池田清定(池田光仲の四男)」に新田1万5000石を分与したのが始まりで、藩庁は鹿奴藩と同じ... -
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若桜藩/池田家2万石:池田徳定 鳥取藩宗家とともに新政府軍に与した若桜藩【幕末維新写真館】
【藩名】 若桜藩 【説明】 豊臣政権時代は「木下重堅」が若桜城主であったが、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍に属し、敗戦とともに自害した。慶長6年(1601年)、摂津国三田藩より「山崎家盛」が3万石で入封して若桜藩を藩した。 2代藩主「山﨑家... -
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鹿奴藩(鳥取藩支藩、鳥取東館新田藩)/池田家3万石:池田徳澄 戊辰戦争では本家鳥取藩と共に新政府軍に与した鹿奴藩【幕末維新写真館】
【藩名】 鹿奴藩(鳥取藩支藩、鳥取東館新田藩) 【説明】 鹿奴藩は鹿野藩「鳥取東館新田藩」ともいう。同地には以前の領主である亀井氏による「鹿野藩」も存在していたため混同される。貞享2年(1685年)に鳥取藩主「池田光仲」が鳥取藩の新田2万5000石を... -
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八木藩/別所家2万石:別所吉治 病を理由に参勤交代を怠り狩猟をしていたことで改易・廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 八木藩 【説明】 八木藩祖は「別所重宗(重棟)」で所領は1万5000石であった。重棟は「織田信長」の命を受けて「羽柴秀吉」率いる中国遠征軍が攻めてきたとき、甥で別所家当主「別所長治」に信長に降伏するように進言したが容れられなかったため... -
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村岡藩/山名家1万1千石:山名義路 当主自ら尊王論者で新政府軍に従属した村岡藩【幕末維新写真館】
【藩名】 村岡藩 【説明】 「山名豊国」は秀吉に仕えて御伽衆となり、秀吉の死後は「徳川家康」に接近した。「関ヶ原の戦い」では東軍に参加し戦功があり家康からの「但馬国で一郡を領し給え」との言葉を賜り但馬国七美郡6700石を与えられ、兎束村に陣屋を... -
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豊岡藩/京極家1万5千石:京極高厚 生野の変では幕府軍に協力して平野国臣らを捕縛した豊岡藩【幕末維新写真館】
【藩名】 豊岡藩 【説明】 豊岡城2万石の領主であった「杉原長房」は、慶長5年(1600年)、「関ヶ原の戦い」において石田三成率いる西軍に属した。しかし妻が「浅野長政」の娘だったため長政の取り成しで旧領を安堵された。慶長16年(1611年)には長政の遺... -
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清富藩/宮城家1万3千石:宮城豊嗣 無嗣断絶のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 清富藩 【説明】 「宮城豊盛」は豊臣秀吉のもとで豊後国日田郡の代官を務めていたが、「関ヶ原の戦い」で西軍についたため改易される。しかし、養嗣子の頼久が実兄の「山崎家盛」から二方郡内に6000石を分知されて「徳川家康」に仕えたことで再興... -
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平福藩/池田家2万5千石:池田輝興 赤穂藩の宗家を継いだため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 平福藩 【説明】 慶長6年(1601年)、姫路藩主「池田輝政」の甥「由之」が2万2千石を平福に分与された。そして中世の城郭「利神城」を5年を要して近代城郭へと改修した。由之は慶長14年(1609年)に3万2千石に加増され備前国下津井城の城番に転出... -
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姫路新田藩/酒井家1万石:酒井忠全 幼年で死去し嗣子がないため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 姫路新田藩 【説明】 元和3年(1617年)に姫路藩に入った「本多忠政(本多忠勝の嫡子)」は、その所領は15万石ほどであったが、忠政の子「本多忠刻」に父とは別に10万石が与えられた。忠刻の妻が「徳川秀忠」の娘「千姫」だったからと伝わる。し... -
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播磨新宮藩/池田家1万石:池田邦照 末期養子が認められず寄合旗本となった新宮藩【幕末維新写真館】
【藩名】 播磨新宮藩 【説明】 藩祖「池田重利」は本願寺総領家坊官で法主顕如の執事を務めた「下間頼龍」の子に生まれ、本来の名を「下間頼広」と言う。本願寺教如と争って出奔し、母の実家で叔父の播磨姫路藩主「池田輝政」を頼りその家臣となった。頼広... -
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福本藩/池田家1万573石:池田喜通 生野の変や長州征伐に参戦するも戊辰戦争では新政府軍に属した福本藩【幕末維新写真館】
【藩名】 福本藩 【説明】 福本藩は現在の兵庫県神崎郡神河町福本に藩庁を置いた藩である。寛文3年(1663年)、「池田政直」に対して播磨国内にて神東郡・神西郡・印南郡1万石が与えられ福本藩が立藩された。寛文5年(1665年)、政直は嗣子なく没したため...
