抹茶の産地として知られる三河・西尾(現在の愛知県西尾市)に、六万石の譜代大名・大給松平家の西尾藩の居城、西尾城がありました。雨の降る中、市街地に残るその跡を歩いてきました。
西尾城とは——足利氏から大給松平家へ
西尾城の起源は鎌倉~南北朝期にさかのぼるとされ、三河守護に任じられた足利義氏が西条城を築いたのが始まりと伝えられます。史料が乏しく創建の詳細には諸説ありますが、天正13年(1585年)、酒井重忠による改修で城は大きく拡張され、二の丸に天守が築かれました。江戸時代には譜代大名が入れ替わり城主を務め、明和元年(1764年)、出羽国山形藩から松平乗祐(大給松平家)が六万石で入封し、以後五代にわたって西尾藩を治めます。天守や多くの建物は明治以降に失われましたが、平成8年(1996年)に本丸丑寅櫓(三重櫓)と鍮石門が再建され、西尾市歴史公園として整備されました。令和2年(2020年)には二の丸丑寅櫓も完成しています。

幕末の西尾藩——佐幕と尊皇のあいだで
幕末の西尾藩は、幕政の中枢と深い関わりを持っていました。第4代藩主・松平乗全は、大老・井伊直弼が断行した安政の大獄において井伊派として一橋派の処分にあたり、藩は第二次長州征伐にも幕府軍の一員として参加しています。しかし慶応4年(1868年)、戊辰戦争が勃発すると状況は一変します。当主・松平乗秩のもと、藩内では旧幕府を支持する佐幕派と天皇を奉じる尊皇派とのあいだで激しい論争が起こり、藩は分裂の危機に陥りました。最終的には下級武士層を中心とする尊皇派が大勢を占め、隣接する尾張藩に従って新政府に恭順することで、西尾藩は家名の存続を果たします。明治2年(1869年)の版籍奉還で乗秩は西尾藩知事に任じられ、明治4年(1871年)の廃藩置県で藩は幕を閉じました。西尾藩の詳しい歩みは全藩情報のページでも紹介しています。

現地を歩いて感じたこと
雨の中歩いた西尾城跡は、住宅街のすぐそばにありながら、堀と木々に囲まれて静けさを保っていました。「姫丸門址」の石碑からは、かつての御殿の広がりが偲ばれ、丑寅櫓を堀越しに見上げると、平成に再建された建物とは思えないほど城下町の風景に馴染んでいます。西尾といえば抹茶の産地としても知られ、城跡を歩いたあとに一服いただくのも、この町ならではの楽しみ方かもしれません。
アクセス(所在地)
西尾城跡(西尾市歴史公園)は愛知県西尾市錦城町にあります。名鉄西尾線・西尾駅から徒歩約15分です。
まとめ
西尾城は、足利氏に始まり大給松平家六万石の居城として続いた三河の城です。幕末には藩主が幕政の中枢に関わる一方、戊辰戦争では藩論が分裂し、最終的に尾張藩に従って新政府に恭順するという道を選びました。抹茶の香る城下町を歩きながら、その揺れ動いた幕末に思いを馳せてみてください。各藩の歴史は全藩情報もあわせてどうぞ。

