全藩一覧—幕末の藩を地域・名前から探す– category –
江戸時代に置かれた藩を、地方別にまとめています。幕末まで続いた藩だけでなく、江戸時代の初めに取りつぶされたり国替えで消えたりした小さな藩も含め、およそ530の藩を一つずつ取り上げました。各ページでは藩が生まれた経緯、藩主家の移り変わり、幕末から廃藩置県までの動き、いまの城跡・陣屋跡の場所を紹介しています。
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上総苅谷藩/堀家1万石:堀直良 上総八幡藩へ陣屋移転のため廃藩
上総苅谷藩(堀家1万石、堀直良)。上総八幡藩へ陣屋移転のため廃藩。寛永十九年(1642年)、「堀直景」は父である「堀直之」の遺領九千五百石を継いで本来の所領五百石と合わせて一万石を領する譜代大名として諸侯に列しました。 -
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小久保藩/田沼家1万1270石:田沼意尊 徳川宗家の駿河・遠江移封に伴う替地として立藩
小久保藩(田沼家1万1270石、田沼意尊)。徳川宗家の駿河・遠江移封に伴う替地として立藩。明治元年(1868年)九月、遠州相良藩主「田沼意尊」が徳川宗家の駿河・遠江移封による替地として上総国天羽郡小久保を与えられたことで立藩されました。 -
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大網藩/米津家1万石:米津政敏 出羽長瀞より移封にて立藩し龍ヶ崎藩へ移封のため廃藩
大網藩(米津家1万石、米津政敏)。出羽長瀞より移封にて立藩し龍ヶ崎藩へ移封のため廃藩。出羽国長瀞藩知事であった「米津政敏」は、明治二年(1869年)十一月、長瀞から上総国山辺郡大網村の蓮照寺に陣屋を移し、大網藩が立藩しました。 -
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松尾藩(柴山藩)/太田家5万3350石:太田資美 西洋稜堡式要塞を築城中に廃藩置県となった松尾藩
松尾藩(柴山藩)(太田家5万3350石、太田資美)。西洋稜堡式要塞を築城中に廃藩置県となった松尾藩。明治元年(1868年)五月、駿河・遠江へ徳川宗家「徳川家達」が七十万石にて入封したため、遠江国掛川藩主「太田資美」は上総国武射山辺郡内… -
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五井藩/有馬家1万石:有馬氏郁 下野吹上藩へ移封のため廃藩
五井藩(有馬家1万石、有馬氏郁)。下野吹上藩へ移封のため廃藩。天明元年(1781年)十一月二十八日、伊勢西条藩の5代藩主・有馬氏恕は、本拠を上総の市原郡五井に移しました。ここから有馬家の藩は五井藩と呼ばれます。 -
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大多喜藩/松平家2万石:松平正質 遊撃隊や請西藩の誘いを退けたことで新政府より赦免された大多喜藩
大多喜藩(松平家2万石、松平正質)。遊撃隊や請西藩の誘いを退けたことで新政府より赦免された大多喜藩。大多喜の歴史は、徳川家康の関東入りとともに始まります。天正十八年(1590年)、秀吉の小田原攻めのあと江戸に入った家康は、徳川四天王の… -
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久留里藩/黒田家3万石:黒田直養 いち早く新政府軍に恭順し家名を守った久留里藩
久留里藩(黒田家3万石、黒田直養)。いち早く新政府軍に恭順し家名を守った久留里藩。戊辰戦争のとき、最後の藩主「黒田直養」は新政府軍に帰順し、慶応四年(1868年)二月、15代将軍「徳川慶喜」が上野寛永寺に謹慎したときには「榊原政敬」と… -
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一宮藩/加納家1万3千石:加納久宜 真忠組の乱を鎮圧し戊辰戦争では新政府軍に与した一宮藩
一宮藩(加納家1万3千石、加納久宜)。真忠組の乱を鎮圧し戊辰戦争では新政府軍に与した一宮藩。戦国時代にはこの地に一宮城が存在していました。一宮城は、北条氏と里見氏の勢力のちょうど境目にあったため、城主がたびたび替わりました。 -
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佐貫藩/阿部家1万6千石:阿部正恒 旧幕府軍撒兵隊へ援軍を送り謹慎となった佐貫藩主 阿部正恒
佐貫藩(阿部家1万6千石、阿部正恒)。旧幕府軍撒兵隊へ援軍を送り謹慎となった佐貫藩主 阿部正恒。佐貫藩最後の藩主となった「阿部正恒」は、慶応四年(1868年)の「戊辰戦争」で旧幕府軍に与したことから罪を問われ謹慎処分となりました。 -
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飯野藩/保科家2万石:保科正益 戊辰戦争勃発時に徳川慶喜の助命を求めた飯野藩主 保科正益
飯野藩(保科家2万石、保科正益)。戊辰戦争勃発時に徳川慶喜の助命を求めた飯野藩主 保科正益。飯野藩最後の藩主「保科正益」は大坂定番を務め、慶応二年(1866年)五月二十六日には「若年寄」にまで栄進し、「第二次長州征伐」では征長軍の指揮… -
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請西藩(貝淵藩)/林家1万石:林忠崇 旧幕府人見勝太郎・伊庭八郎らと遊撃隊を組織し仙台まで戦い抜いた林忠崇
請西藩(貝淵藩)(林家1万石、林忠崇)。旧幕府人見勝太郎・伊庭八郎らと遊撃隊を組織し仙台まで戦い抜いた林忠崇。請西藩陣屋(真武根陣屋)真武根陣屋は現在の千葉県木更津市にあった一万石(林家)の陣屋跡です。 -
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龍ヶ崎藩/米津家1万1千石:米津政敏 出羽長瀞藩から大網藩・龍ヶ崎藩へと移封した米津家
龍ヶ崎藩(米津家1万1千石、米津政敏)。出羽長瀞藩から大網藩・龍ヶ崎藩へと移封した米津家。龍ヶ崎藩の前身は長瀞藩で出羽国に本拠を置いたため、後の戊辰戦争(奥羽戦争)では戦場となり、戦火によって「長瀞陣屋」と町を失いました。 -
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江戸崎藩/丹羽家2万石:丹羽長重 陸奥棚倉藩へ加増転封のため廃藩
江戸崎藩(丹羽家2万石、丹羽長重)。陸奥棚倉藩へ加増転封のため廃藩。慶長八年(1603年)、本多正信や内藤清成らと並んで関東総奉行を務めた徳川氏譜代の家臣「青山忠成」が一万石で入ったことにより江戸崎藩が立藩します。 -
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常陸古渡藩/丹羽家1万石:丹羽長重 江戸崎藩へ加増転封のため廃藩
常陸古渡藩(丹羽家1万石、丹羽長重)。江戸崎藩へ加増転封のため廃藩。「関ヶ原の戦い」の功により近江の一部を領していた「山岡景友」が初代古渡藩主として封じられたが、無嗣改易となりました。 -
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小張藩/松平家1万5千石:松平乗政 信濃小諸藩へ移封のため廃藩
小張藩(松平家1万5千石、松平乗政)。信濃小諸藩へ移封のため廃藩。延宝七年(1679年)、「松平乗政」が一万石を領したことから小張藩が立藩されます。乗政は「徳川家綱」の小姓で五千石を領していたが、延宝七年に若年寄に栄進したことから常陸… -
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玉取藩/堀家1万2千石:堀通周 幕府の命により改易
玉取藩(堀家1万2千石、堀通周)。幕府の命により改易。「堀利重(堀秀治の弟)」は「大坂の陣」で武功を挙げたことから、元和八年(1622年)常陸新治郡に一万石を与えられて「玉取藩」を立藩しました。 -
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志筑藩/本堂家1万110石:本堂親久 幕末には新選組の伊東甲子太郎・鈴木三樹三郎を輩出した志筑藩
志筑藩(本堂家1万110石、本堂親久)。幕末には新選組の伊東甲子太郎・鈴木三樹三郎を輩出した志筑藩。「関ヶ原の戦い」の後、慶長七年(1602年)に常陸国の「佐竹義宣」が出羽国秋田に減転封されたのと入れ替わりに、会津の上杉攻めで功績のあ… -
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常陸北条藩/堀田家1万3千石:堀田正英 継嗣届け出不備により改易
常陸北条藩(堀田家1万3千石、堀田正英)。継嗣届け出不備により改易。下総国佐倉藩主「堀田正盛」の四男「堀田正英」は、父が将軍に殉死した後その遺領のうち五千石を分与されました。 -
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柿岡藩/稲葉家1万石:稲葉正勝 真岡藩に吸収されたため廃藩
柿岡藩(稲葉家1万石、稲葉正勝)。真岡藩に吸収されたため廃藩。寛永元年(1624年)、常陸国新治郡柿岡をはじめ、上野国や下野国において五千石の知行を領していた「稲葉正勝」は、常陸国真壁郡にも五千石を加増されて一万石の大名となり、柿岡藩… -
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片野藩/滝川家2万石:滝川正利 病弱の為1万8千石を幕府へ返納し廃藩
片野藩(滝川家2万石、滝川正利)。病弱の為1万8千石を幕府へ返納し廃藩。戦国武将「滝川雄利」は織田信長に仕え、信長没後はその次男「信雄」の家臣となりました。信雄が改易されると豊臣秀吉の家臣として伊勢国神戸に二万石を与えられました。 -
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真壁藩/浅野家5万石:浅野長重 笠間藩へ加増転封のため廃藩
真壁藩(浅野家5万石、浅野長重)。笠間藩へ加増転封のため廃藩。慶長五年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で、「浅野幸長」は東軍に与して戦功を挙げたため、甲斐国から紀伊国紀州藩三十七万六千五百石に加増移封されました。
