【藩名】
佐貫藩
【説明】
佐貫藩最後の藩主となった「阿部正恒」は、慶応4年(1868年)の「戊辰戦争」で旧幕府軍に与したことから罪を問われ謹慎処分となりました。旧幕府軍の脱走兵で構成された「撒兵隊(徳川義軍府)」に対して藩兵を援軍として送り、これに反対した家老を粛清するなどして新政府軍と敵対しました。
旧幕府軍の敗退が濃厚になると新政府に武器弾薬を差し出して降伏、勝隆寺で謹慎を命じられたのです。しかし、同年10月に赦免されました。翌年の「版籍奉還」では佐貫藩知事となり、明治4年(1871年)の「廃藩置県」で佐貫藩は廃藩となりました。その後、佐貫県となったが同年11月、木更津県に吸収され、後に千葉県に編入されました。
目次
上総の要害・佐貫城
佐貫藩は、上総国天羽郡(現在の千葉県富津市佐貫)に置かれた一万六千石の藩で、佐貫城を居城とし、藩主は譜代の阿部家でした。東京湾に面した房総の要地を治め、江戸湾の海防にも関わる立場にありました。城跡については現地取材の記事「佐貫城跡をたずねて」でも詳しく紹介しています。
旧幕府軍への援軍と謹慎
戊辰戦争において佐貫藩は、江戸を脱走した旧幕府軍の撒兵隊(さっぺいたい)へ援軍を送りました。このため、のちに新政府から謹慎の処分を受けることになります。江戸に近く旧幕府との縁も深い房総の藩が、動乱のなかで難しい立場に立たされた様子を伝えています。
【場所・アクセス・地図】

