| 林信太郎 | |||
| 職名 | 伍長・諸士取調役兼監察 | ||
| 出身 | 武蔵国 | ||
| 終焉場所 | 水戸街道(下総・常陸方面) | ||
| 終焉方法 | 戦死 | ||
文久3年5月ごろまでに、新選組の前身・壬生浪士組に入隊しました。
池田屋事件では土方歳三の隊に入り、褒賞金を受けています。
慶応4年、永倉新八らと新選組を離れて靖兵隊に加わり、明治元年10月に討死したと伝えられます。

壬生浪士組からの古参
林信太郎は武蔵国の出身で、文久3年(1863)5月ごろまでには、新選組の前身である壬生浪士組に加わっていました。京都で隊が名を上げる前からの、古い隊士の一人です。隊では伍長を務め、のちに諸士取調役兼監察として、隊士の素行を調べる役にもつきました。
長州藩の間者とされた荒木田左馬之助を斬ったのも、林だと伝わります。隊の中に入りこんだ敵の手先を始末する、新選組の暗い仕事にも関わっていたことになります。
池田屋事件で褒賞を受ける
元治元年(1864)6月の池田屋事件では、土方歳三の隊に入って四国屋の方面を探索し、そのあと池田屋へ駆けつけて近藤勇を助けました。この働きで、褒賞金17両を受けています。
靖兵隊の歩兵取締に
鳥羽・伏見、甲州勝沼と敗れたあと、慶応4年(1868)3月、林は永倉新八・原田左之助らとともに新選組を離れ、靖兵隊に加わりました。役は歩兵取締です(靖兵隊とは)。
閏4月、隊長の芳賀宜道と永倉新八が会津へ援軍を求めに向かうと、林は前野五郎とともにあとの隊を任されました。永倉が去ったあとの靖兵隊を率いた一人が、この林です。
水戸街道での最期
靖兵隊の残りはやがて新遊撃隊に組み込まれ、10月には水戸藩の諸生党とともに水戸城を攻めますが、1日で敗れます。林は、その後の明治元年(1868)10月5日、水戸街道で久留米藩の兵と戦って討死したと伝えられます。壬生浪士組のころから新選組とともに歩み、靖兵隊の最後まで戦った隊士でした。
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