陸奥宗光 宛 坂本龍馬の手紙 原書と現代文翻訳

陸奥宗光

原文
三四郎及、龍も一所に大兄の御咄相聞しに、芸州の方へは別段に三四郎が参るに不及かのよふ存込ミ居候。然ニ今日右よふの手紙が参り候得ば、もしつがふあしくはあるまいかと存候へば、御相談申上候。今日は三四郎も病気に候得バ、たれでも代人つかハし候間、御同行奉頼候。御帰り次第、佐々木の宿ニ御成奉願候。早々頓首。十三日龍〆楳太郎奥陸元二郎様左右
現代文
三四郎(佐佐木高行)及び、私も大兄(陸奥宗光:海援隊士)のお話を聞きに、広島の方には別段三四郎(佐佐木高行)が行くには及ばないように思う。しかし、今日このような手紙が届いたのでもし都合が悪くなければ相談してみます。今日は三四郎(佐佐木高行)も病気なので、誰か代わりの人を来させてご同行の程頼みます。帰り次第佐々木の宿に来て下さい。13日龍馬楳太郎(龍馬変名)奥陸元二郎様(陸奥宗光:海援隊士)
目次

この手紙について

「佐佐木三四郎(高行)と私も、あなたの話を聞きに行くつもりだ。芸州(広島)へは、わざわざ三四郎が行くには及ばないかと思っていたが、今日こういう手紙が来たので、都合が悪くなければ相談したい。今日は三四郎が病気なので代わりの者を立てるから、同行を頼みます。帰り次第、佐々木の宿へ来てほしい」という、段取りの相談を伝える手紙です。十三日付、楳太郎の署名。芸州(広島)藩との連携が背景にあります。

宛先「陸奥宗光」とは

陸奥宗光は海援隊で龍馬の腹心をつとめ、のちに外務大臣となる俊才です。実務を安心して任せられる、頼れる相手でした。

この手紙が書かれたころの龍馬の境遇

薩長芸の連携が模索されるなか、諸藩との折衝や人の行き来を細かく調整していました。腹心の陸奥や佐佐木高行と連携しながら動いていました。

幕末全体の動き(慶応三年)

薩摩・長州に芸州(広島)を加えた雄藩連合の動きが進んでいました。倒幕へ向けた包囲網が、着々と広がっていた時期です。

土佐藩の当時の動き

土佐藩の佐佐木高行や海援隊が、こうした藩と藩の交渉の実務を担っていました。龍馬はその調整役の中心にいました。

坂本龍馬の手紙139通(現代翻訳文)一覧

坂本龍馬の手紙の一覧を見る

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次