安岡金馬 宛
| 原文 |
| 難有次第ニ奉存候。私よりも何か候得ども、何分御聞の通英国さわぎにて、どうもひまなく失敬今日も鳥渡残念に存何レ近々参上仕候。謹言。五日龍馬金馬先生御許 |
| 現代文 |
| ありがたいことと思います。私からも、何分お聞きの通り英国騒ぎ(英国艦イカルス号事件:海援隊士に疑惑があった)があるので、どうしても暇がなく失敬します。今日も残念ですが、何れ近いうちにお伺いします。5日龍馬金馬先生(安岡金馬:海援隊士) |

目次
この手紙について
「英国騒ぎがあって忙しく伺えず失礼しました。近々参上する」という短い詫び状です。「英国騒ぎ」は、慶応三年(一八六七)七月に長崎で英国軍艦イカルス号の水兵が殺害され、海援隊士に嫌疑がかけられた「イカルス号事件」を指すとみられます。龍馬は隊の疑いを晴らすため対応に追われており、その多忙ぶりがこの手紙にもにじんでいます。五日付。
宛先「安岡金馬」とは
安岡金馬(やすおか きんま)は土佐出身の海援隊士で、龍馬の身近な同志のひとりでした。海援隊の仲間うちで交わされた、気の置けないやり取りの一通です。
この手紙が書かれたころの龍馬の境遇
慶応三年の夏、いろは丸事件に続いてイカルス号事件と、龍馬は外国がらみの難題への対応に忙殺されていました。海援隊の名誉と存続がかかる、緊張の日々でした。
幕末全体の動き(慶応三年)
開港後、外国人との紛争は藩や幕府をも揺るがす一大事でした。国際問題を処理する力量が問われる、新しい時代の課題がここにあります。
土佐藩の当時の動き
海援隊は土佐藩の外郭であり、隊士への嫌疑は土佐藩自身の問題でもありました。後藤象二郎ら土佐の要人も事件の対応に関わっています。
坂本龍馬の手紙139通(現代翻訳文)一覧

