佐佐木高行 宛(113通目) 坂本龍馬の手紙 原書と現代文翻訳

佐佐木高行 宛

原文
先刻御見うけ申候通りニ、大兄の反したまふより援隊壮士三四等、ときの声を出し、ゑい々と押来り、くおふるに女軍吾本陳お打破り其声百雷のく、大兄此時ニもれたまふて、地下に吾に何の御顔を見セたまふや。御心根御為聞可被遣候。なぜに来りたまハぬや、御為聞。拝首。佐々木将軍陳下楳拝首
現代文
先刻お見受けした通りに、あなた(佐佐木高行:土佐藩士)が寝返られてから、海援隊の壮士三、四人がときの声をあげて、えいえいと押しだし、女軍が私の本陣を攻めて打ち破り、その声百雷のごとく、大兄(佐佐木高行:土佐藩士)こんな時にここにおらず、地下に我にどの面を見せるのか。お心をお聞かせ頂きたく思います。なぜに来て頂けないのかお聞かせ下さい。※佐佐木高行を楽しい酒宴に誘う手紙。佐々木将軍(佐佐木高行:土佐藩士)

出典:原文は宮地佐一郎編『龍馬の手紙』(講談社学術文庫)によります。現代文は、運営者がこの原文をもとに独自に訳したもので、解説も運営者が書いています。

目次

この手紙について

海援隊士たちが「女軍」となって本陣に攻め寄せ、その鬨(とき)の声は百雷のごとし―といった芝居がかった戯文で、「こんな時にあなたがいないとは。なぜ来ないのか」と佐佐木高行を酒宴に誘う、ユーモアたっぷりの手紙です。才谷の署名。緊張の日々のなかで見せる、龍馬の茶目っ気と人間味が光ります。

宛先「佐佐木高行」とは

佐佐木高行
佐佐木高行(パブリックドメイン/Wikimedia Commons)

佐佐木高行は海援隊を監督する土佐藩士です。堅い立場の相手にも、龍馬はこうした軽口を飛ばせる、打ち解けた仲でした。

この手紙が書かれたころ

命がけの活動の合間に、仲間と酒を酌み交わす息抜きの時間も大切にしていました。人を巻き込む陽気さこそ、龍馬の大きな魅力でした。張りつめた日々を送る志士たちにとって、宴の席は英気を養う貴重な場でした。緊張と緩和が、彼らの日常を形づくっていました。土佐の同志との気の置けない交わりが、龍馬の活動を陰で支えていました。人と人との情が、組織を動かす力になっていたのです。

軍記物に見立てた、来ない佐々木への文句

宮地佐一郎編『龍馬の手紙』は、この一通を慶応三年九月初旬のものとしています。手紙そのものに日付はなく、宮地の本文の末尾には「佐々木高行日記」とあります。先ほどお見受けしたとおり、あなたが寝返ってから、援隊の壮士三人がえいえいと押し寄せ、そのうえ女の軍勢までがわが本陣を打ち破って—と、戦記物の口調でふざけながら、何の顔を見せたまうか、なぜ来たまわぬのか、と佐々木 高行を責めています。宛名は「佐々木将軍」、署名は「楳」です。

相手は土佐藩の大監察で、龍馬より身分の上の人です。その人を「将軍」と持ち上げ、寝返った武将に見立ててからかうのですから、二人の間柄はよほど打ち解けていたのでしょう。九月の初めといえば、イカルス号事件の談判がようやく片づき、龍馬が銃を積んで土佐へ向かおうとしていたころです。緊張の続いた二か月のあとの、息抜きのような一通です。宮地の本文では「援(ママ)隊壮士」となっていて、龍馬が「海援隊」の「海」を書き落としていたことが分かります。

同じころの京都—倒幕へ向かう薩長

京都と山口では 慶応三年(1867)九月、薩摩の大久保利通は長州の山口を訪ね、薩摩と長州が兵を京都・大坂へ送ることを約束しました。まもなく芸州(広島)藩もこれに加わります。大政奉還を目指す土佐とは別に、武力で幕府を倒す計画が具体的に動き出していました。

土佐では 土佐藩は、この流れのなかで大政奉還の建白を急いでいました。武力衝突の前に、将軍がみずから政権を返す道を開けるかどうか。佐佐木高行ら土佐の重役と龍馬が連絡を取り合っていたのは、まさにこの瀬戸際の時期でした。

慶応三年九月、佐佐木高行と海援隊の仲間

軍記物に見立てた冗談

この手紙で龍馬は、佐佐木高行が「寝返った」ために、海援隊の壮士と「女軍」に本陣を破られたと、軍記物のような言い回しでぼやいています。宴席の約束をすっぽかされた不満を、大げさな戦の話に仕立てたものと読めます。土佐藩の大目付という重い役にある佐佐木に、ここまでくだけた文を送れるほど、二人は打ち解けていました。

佐佐木高行という人

佐佐木高行は文政十三年生まれの土佐藩の上士で、上士の中では早くから勤王の考えを持っていた人物です。この年は大目付としてイカルス号事件の後始末にあたり、長崎で龍馬と行動をともにしました。龍馬の死後の慶応四年一月には、海援隊を率いて長崎奉行所を接収しています。明治になってからは政府の要職を歴任しました。

銃を積んで土佐へ

この九月、龍馬は長崎で小銃を買い付け、芸州藩の船を借りて土佐へ運びました。武力による倒幕の動きが強まるなか、土佐藩にも備えが要ると考えたためです。龍馬はこの航海で、五年ぶりに高知の家族のもとへ帰っています。

坂本龍馬の手紙を時代順に読む(一覧の113通目/全135通)

◀ 前の手紙:佐佐木高行 宛
次の手紙 ▶:安岡金馬 宛

手紙の一覧に戻る / 亀山社中と海援隊 / 海援隊士一覧 / 近江屋跡(現地取材)

坂本龍馬の手紙139通(現代翻訳文)一覧

坂本龍馬の手紙の一覧を見る ›

  • URLをコピーしました!
目次