三吉慎蔵 宛
| 原文 |
| 大日本吏舌代但本箱とも右借用仕度、此使に御送り被遣候得バ、難有次第奉存候。頓首龍廿二日才吉三吉様 |
| 現代文 |
| 大日本史(水戸光圀の編纂で幕末志士の原典:尊皇色が強い本)舌代(口で言うべきことを文字にしたもの)本箱ともいう。これをお借りしたいと思います。この使いに預けて送って頂けるとありがたい次第です。22日才谷三吉様(長府藩士) |
目次
この手紙について
「『大日本史』を本箱ごと借りたい。この使いに預けて送ってほしい」という、書物の借用を願う短い手紙です。署名の「才谷」は龍馬の変名。日付は「二十二日」のみで年は不明です。『大日本史』は水戸藩が編んだ尊皇色の強い歴史書で、幕末の志士たちの精神的な原典でした。命を狙われる日々のなかでも、龍馬がこうした学問の書に手を伸ばしていたことがうかがえます。
宛先「三吉慎蔵」とは
三吉慎蔵(みよし しんぞう)は長府藩士で、槍術の名手として知られます。慶応二年(一八六六)の寺田屋事件では、伏見奉行の捕り方に襲われた龍馬を槍を振るって守り、危機から救い出しました。以後も龍馬と固い信頼で結ばれた恩人です。
この手紙が書かれたころの龍馬の境遇
寺田屋で負傷したのち、妻お龍とともに薩摩へ湯治に赴いた(日本初の新婚旅行とも言われる)前後の時期とみられます。追われる身でありながら、なお思想の書を求める姿に龍馬の一面がのぞきます。
幕末全体の動き(慶応年間)
尊皇の思想が高まるなか、水戸学や『大日本史』は志士たちの精神的な支柱でした。学問と行動が分かちがたく結びついていた時代です。
土佐藩の当時の動き
土佐勤王党の流れをくむ志士たちも尊皇の学に学びました。脱藩浪士となった龍馬も、その精神的な水脈のなかにいました。
坂本龍馬の手紙139通(現代翻訳文)一覧

