坂本乙女・春猪 宛(天誅組の蜂起失敗をあわれむ)
| 原文 |
| 先便御こしの御文御歌など、甚おもしろく拝見仕候。私事ハ急用これあり、今日江戸へ参り申し候間、其御被知かたゞ先日の御文御歌さしあげ申候。〇先日大和国ニてすこしゆくさのよふなる事これあり。其中に池内蔵太、吉村寅太郎、平井のあいだがらの池田のをとをと、水通のをさとのぼふずなど、先日皆々うちまけ候よし。これらハみな〃しよふがわるいニつき、京よりうつてを諸藩へおふせつけられ候ものなり。皆々どふもゆくさする事をしらず、唯ひとまけにまけ候よし、あハれ私がすこしさし引をもいたし候時ハ、まだ〃うつての勢ハひとかけ合セにて、うち破り候ものをと、あわれに存申候。先ハ早〃、頓首龍より乙様春猪様足下猶かの柳のよふじのつがふの事ハをもわくいつふハいの所は川らづかまで申やり候。其文御らん々。 |
| 現代文 |
| 先の便で頂いた手紙や歌などは、これはもう面白く拝見させて頂きました。私は急用があって、本日江戸へ向かいます。そのお知らせかたがた、先日の手紙と歌をお送りします。先日大和の国(今の奈良県)で戦争がおこりました。(大和天誅組の乱)この中には、池内蔵太、吉村寅太郎、平井収二郎・加尾の従兄弟の池田忠三郎の弟・土居左之助、自分の実家の近くだった茶道家出身で武芸の達人の上田宗児なども参加し、みんな戦で負けました。この者たちは皆ふとどき者とされ、京都から諸藩へ討伐が命じられたのです。みんな戦争の専門家でもなく、ただ負けに負けていて、私が少しでも作戦指揮を取っていればまだ敵と一合戦して打ち破ってみようものを、とても哀れに思います。まずは早々に龍馬より乙女様春猪様なお、養子の件の事は私の思惑を川原塚茂太郎まで手紙で書きました。 |
出典:原文は宮地佐一郎編『龍馬の手紙』(講談社学術文庫)によります。現代文は、運営者がこの原文をもとに独自に訳したもので、解説も運営者が書いています。
この手紙について
姉・乙女と姪・春猪へ宛てた手紙で、大和(現在の奈良県)で起きた天誅組の乱の失敗を悼んでいます。急用で江戸へ発つことを告げつつ、この挙兵に加わって敗れた同志たち―池内蔵太、吉村寅太郎、上田宗児ら―の名を挙げ、その無念を静かに嘆いています。理想に殉じた仲間への、龍馬の深い哀悼がこもった一通です。
宛先「坂本乙女・春猪」とはどんな人物か

乙女は龍馬の姉、春猪はその姪(兄・権平の娘)です。龍馬は肉親に宛てて、世上の大事件と、それに巻き込まれた友人たちの運命を、飾らぬ言葉で伝えています。
この手紙が書かれたころ
勝海舟のもとで海軍所づくりに励む一方、脱藩以来の同志たちが各地で挙兵し、敗れていく現実に直面していたころです。武力による攘夷の限界を目の当たりにし、龍馬自身は別の道を模索しはじめていました。八月十八日の政変で尊皇攘夷派が京を追われた直後、天誅組は大和で挙兵しましたが、孤立して壊滅しました。急進的な攘夷運動が次々と挫折し、時代は大きな転換点を迎えます。土佐では容堂による勤王党への弾圧が本格化し、脱藩した志士たちは各地の挙兵に身を投じていました。天誅組に加わった土佐者の多くが命を落とし、龍馬は同郷の同志の死を重く受け止めています。
「うつてを諸藩へおふせつけられ」、討手が迫った大和の一か月
宮地佐一郎はこの手紙を坂本乙女・春猪あてとし、年月を文久三年秋頃と推定しています。手紙そのものに日付はありません。五條市と奈良県の解説によると、天誅組は文久三年八月十七日に五條代官所を襲いましたが、翌十八日には京都で政変が起こり、大和行幸は中止になりました。九月十四日には紀州藩と藤堂藩の追討軍が迫り、九月二十四日、東吉野村の鷲家口でほぼ壊滅します。挙兵からわずか一か月あまりのことでした。
龍馬は、土佐の仲間たちを「ゆくさする事をしらず」と評し、自分が少しでも指揮をとっていれば、討手の勢いなど一度のぶつかり合いで打ち破ったものを、と悔しがっています。哀れみと自負が同じ一文に同居しているところに、この手紙の率直さがあります。追伸に名の出る川原塚茂太郎については、宮地の本に文久三年八月十九日付の龍馬の手紙も収められています。底本注記によれば、この手紙は高知の弘松家文書として伝わります。
同じころの土佐—武市半平太の投獄
土佐では 文久三年(1863)九月二十一日、土佐勤王党の盟主・武市半平太が投獄されました。前藩主・山内容堂は、前年の吉田東洋暗殺の責任を勤王党に問い、党の同志たちを次々と捕らえていきます。武市はこのあと一年半以上も獄に置かれ、慶応元年(1865)に切腹を命じられることになります。
龍馬のまわりでは 土佐藩は、勝海舟のもとにいた龍馬ら土佐の者たちにも帰国を命じました。しかし龍馬は戻らず、二度目の脱藩の道を選びます。乙女と春猪に宛てたこの秋の手紙は、龍馬が故郷との関係を大きく変えようとしていた時期のものです。
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龍馬があわれんだ天誅組の蜂起の流れは、こちらで解説しています。
天誅組の変とは?中山忠光と吉村寅太郎が大和で挙兵し、40日で壊滅した戦いを図解でわかりやすく



