| 遼鶴丸 | |||
| 藩名 | 久留米藩 | ||
| 藩主 | 有馬慶親 | ||
| 船種 | スクーナー輸送船 | ||
| 機関 | 帆走 | ||
| 備砲 | 0門 | ||
| 材質 | 木製 | ||
| 馬力 | 0馬力 | ||
| 写真 | 絵図 | ||
■ 詳細
1866年に購入した木製帆船で、原名は「タイヤシン」、長14間・幅3間2尺・190トンでした。
元治元年(1864)1月に、久留米藩は英国から蒸気艦船「雄飛丸」を購入して洋式海軍を創設し、翌年には米国から木造帆船「玄鳥丸」を購入、英国からは木造蒸気船「晨風丸」・木造帆船「翔風丸」「遼鶴丸」、蒸気艦船「神雀丸」を購入して兵式も西洋方式とし、幕府、薩摩藩、佐賀藩につぐ強力な海軍力をつくり上げました。
目次
所属した久留米藩と幕末の動き
この汽船・遼鶴(りょうかく)丸を保有したのは、筑後の久留米藩(有馬家)です。二十一万石の大藩で、洋式の船をそろえて海防にあたりました。
久留米藩は幕末、尊皇攘夷の気運が非常に強い藩でした。なかでも神職出身の志士・真木和泉(保臣)は、久留米を代表する尊攘思想家として知られ、寺田屋事件や禁門の変にかかわり、最後は京都・天王山で同志とともに自刃しました。一方で藩の上層部は佐幕的な立場をとることもあり、藩論は勤皇と佐幕のあいだで大きく揺れ、維新後には藩内対立が「久留米藩難事件」として噴き出します。遼鶴丸は、そんな揺れる大藩・久留米が持った一隻でした。
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