大鵬丸【福岡藩 輸送船 幕末軍艦】

大鵬丸
藩名 福岡藩
藩主 黒田長溥
船種 バーク船
機関 帆走
備砲 0門
材質 木製
馬力 0馬力
写真 絵図

藩主「黒田長溥」は藩主就任直後から藩政改革に取り組み、家臣たちを長崎へ派遣し、長崎砲台の増設、製錬所の開設、医学校「養生館」の創設などにも取り組みました。

アメリカから日華丸、蒼阜丸、小鷹丸などを購入し、ケーベル銃、ウユルサンス銃、エンフィール銃などの西洋銃も購入しました。大鵬丸(旧名コロンビア)は文久2年イキリスからグラバーの仲介にて購入しました。大鵬丸は主に藩主が乗船する船として用いられました。

戊辰戦争が勃発すると「大鵬丸」は輸送船として敦賀港を経由して越後方面へ兵や物資を運びました。

目次

所属した福岡藩と幕末の動き

この軍艦・大鵬丸を運用したのは、筑前の福岡藩(黒田家)です。四十七万石の外様大藩で、洋式の艦船をそろえて海防にあたりました。

幕末の福岡藩には、熱心な勤皇の志士たちがいました。西郷隆盛とも交流した平野国臣や、月形洗蔵らが尊皇攘夷・薩長の周旋に奔走します。しかし慶応元年(1865)、藩内の保守派による弾圧「乙丑(いっちゅう)の獄」で勤皇派が一斉に粛清され、多くの志士が命を落としました。維新の主役になり損ねた雄藩の悲劇として知られます。大鵬丸は、その福岡藩が持った一隻です。

幕末軍艦一覧リスト

寺泊の沖にいた三隻のうちの一隻です

慶応四年五月二十四日、越後の寺泊の沖で、大鵬丸は薩摩藩の乾行丸、長州藩の第一丁卯とともに、旧幕府の輸送船順動丸を追い詰めました。順動丸は傷ついて浜へ乗り上げ、翌日の午後に積んでいた弾薬が爆発して沈みます。この記事にある「敦賀港を経由して越後方面へ兵や物資を運びました」という働きの、その越後での一場面にあたります。

藩主が乗る船でした

原名をコロンビアといい、文久二年にイギリスからグラバーの仲立ちで買った船です。主に藩主が乗る船として使われたと、この記事は伝えています。福岡藩はほかにも日華丸・蒼阜丸・小鷹丸をアメリカから買っており、四十七万石にふさわしい数を揃えていました。

表の藩主を改めました

この記事の表は藩主を黒田斎博、本文では黒田長薄としていましたが、いずれも幕末の福岡藩主・黒田長溥の名の書き誤りとみられますので、長溥に改めました。長溥は薩摩の島津重豪の子で、長崎へ藩士を送り、砲台を増やし、製錬所や医学校の養生館をひらいた開明的な藩主です。その一方で、この記事の末尾にある慶応元年の乙丑の獄では、勤皇の志士たちが藩内で厳しく処断されました。

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