高雄丸【江戸幕府 砲艦 幕末軍艦】

高雄丸
藩名 江戸幕府
藩主 徳川慶喜
船種 砲艦
機関 蒸気内車
備砲 5門
材質 木製
馬力 350馬力
写真

■ 詳細
原名「アシュロット」アメリカで建造され、秋田藩に売却されます。同じ尊王派の松前藩に燃料の補給の為に寄港したが、松前藩は既に榎本艦隊によって制圧されており、何も知らずに立ち寄った高雄丸は捕獲され、以後は榎本艦隊に属しました。宮古湾海戦の後、機関の不調により脱落、函館に戻る途中で新政府軍に拿捕されるのを恐れて遺棄されました。

目次

所属した江戸幕府と、軍艦操練所

この船・高雄丸を運用したのも、江戸幕府です。幕府は海軍の人材を江戸でも育てるため、築地に軍艦操練所を設けました。

ここでは長崎海軍伝習所で学んだ者たちが教官となり、旗本や諸藩の若者に洋式の航海術・砲術を教えました。江戸湾の防備のために築かれた品川台場とあわせ、幕府の海防体制の中核をなす施設です。高雄丸は、その幕府海軍が動かした一隻でした。江戸湾の守りについてはお台場のページもどうぞ。

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燃料を入れに寄っただけの船でした

この船の運命は、寄った先が変わっていたことで決まりました。原名アシュロット、アメリカで造られた船で、秋田藩に売られています。新政府の側に立つ藩の船として、燃料を積むために松前へ寄りました。ところが松前藩は、すでに榎本武揚の艦隊に制圧されたあとでした。何も知らずに入った高雄丸はそのまま捕られ、以後は旧幕府の艦隊の一隻となります。

宮古湾で、もとの味方を襲いました

明治二年三月二十五日の明け方、榎本艦隊の回天丸、蟠竜、そしてこの高雄が、宮古の湾に停まっていた新政府の甲鉄艦を奪おうとしました。回天の艦長・甲賀源吾が戦死し、土方歳三が斬込隊長として乗っていた戦いです。戦闘は三十分ほどで終わりました。少し前まで新政府側の藩の船だったものが、旧幕府の艦隊の一隻として新政府の船を襲ったことになります。

最後は、三陸の岸で終わりました

高雄はこの戦いのあと、機関の不調で艦隊から遅れました。当ページは、函館へ戻る途中で新政府軍に捕られるのを恐れて遺棄された、としています。いっぽう田野畑村の説明では、春日に撃たれて船足が落ち、対岸のイシ浜へ乗り上げ、艦長の古川節蔵ら乗組員は上陸して南部藩へ投降した、とあります。乗り上げたのか、自分から捨てたのか、資料によって書き方が違いますが、船が三陸の岸で終わり、乗っていた人が陸へ上がったという点では重なります。廣運丸のページにも、盛岡藩の側から見たこの戦いを書きました。

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