| 順動丸 | |||
| 藩名 | 江戸幕府 | ||
| 藩主 | 徳川慶喜 | ||
| 船種 | 輸送船 | ||
| 機関 | 蒸気外輪 | ||
| 備砲 | 不明 | ||
| 材質 | 鉄骨木皮 | ||
| 馬力 | 350馬力 | ||
| 写真 | スケッチ | ||
■ 詳細
1863年幕府が英国より15万ドルで購入した新造輸送船。原名「ジンキー(仁記)」にちなんで「順動」と命名されました。
将軍も乗った幕府の快速蒸気船
順動丸は、幕府がイギリスから購入した外輪式の蒸気船で、1862年(文久2年)に横浜で引き渡されました。速力にすぐれた実用的な船で、幕府の要人輸送や海軍活動に 広く用いられました。
家茂の上洛と勝海舟
順動丸は、将軍・徳川家茂が大坂湾(摂海)の防備を視察する際に用いられるなど、幕末の政局を動かす人々を運びました。勝海舟がこの船に乗って海防や海軍の任務にあたったことも知られ、幕末海軍史を語るうえで欠かせない一隻です。
寺泊沖での最期
戊辰戦争では旧幕府方として兵員や軍需物資の輸送にあたりましたが、1868年(慶応4年)、越後の寺泊沖に停泊中、新政府軍艦隊の攻撃を受けて損傷・自爆し、その生涯を閉じました。引き揚げられた外輪のシャフトは、現在も長岡市で保存・展示されています。
順動丸をもっと深く——将軍が乗った蒸気船
十五万ドルの快速船
順動丸は1861年にイギリスで建造された「ジンギー」という船で、文久二年(1862年)、幕府が十五万ドルで買い取りました。
| 建造 | イギリス(1861年) |
|---|---|
| 旧名 | ジンギー |
| 排水量 | 約405トン |
| 推進 | 外輪(煙突2本) |
| 出力 | 360馬力 |
| 備砲 | 1〜2門 |
| 購入価格 | 150,000ドル |
備砲はわずか一〜二門しかありません。軍艦というより、高速の御用船です。幕府がこの船に求めたのは砲力ではなく、速さと確実さでした。
将軍が、蒸気船に乗る
文久三年五月、十四代将軍・徳川家茂がこの順動丸に乗り、攘夷の実行に備えて大坂湾の防備を視察しました。
いま読むとどうということのない一行だが、当時としては異例です。それまで将軍の移動といえば、陸路の大行列でした。江戸を離れること自体が稀で、上洛など二百年以上絶えていました。その将軍が、西洋から買った蒸気船で海を走って視察に出ます。
家茂は上洛や江戸へ戻る際にも、たびたび順動丸を使っています。幕府の権威のかたちが変わりつつあったことが、この一隻の使われ方によく出ています。行列の格式ではなく、移動の速さがものを言う時代になっていました。
船が運んだのは将軍だけではありません。文久二年の暮れには勝海舟の指揮のもと、福井藩の松平春嶽らを乗せて品川から大坂へ走りました。翌年には公家の姉小路公知の一行百二十余名も運んでいます。幕末の政局を動かした人々が、この船で東西を往復していました。
寺泊沖
慶応四年五月、順動丸は北越方面の輸送に従事していたところを、越後の寺泊沖で新政府軍の艦隊に襲われます。損傷して動けなくなり、自沈しました。
長岡藩の河井継之助が武装中立を掲げて戦っていた、その海です。北越戦争は陸の戦いとして語られることが多いが、日本海側の海上輸送をめぐる戦いでもありました。順動丸の最期は、その側面を示しています。
車軸だけが残った
のちに引き揚げられた順動丸の外輪のシャフト——車軸が、いまも新潟県長岡市に残されて展示されています。
幕末の外輪蒸気船の実物が現存している例は、きわめて少ありません。開陽丸のように船体ごと引き揚げられたものは例外で、たいていの船は記録すら十分に残さないまま消えました。将軍を乗せて走った船の一部が、いま新潟の内陸に置かれています。
幕末軍艦一覧リスト

