岡本健三郎 宛
| 原文 |
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唯今は御使被下難有、然ニ越前行は今日出達仕候よふ、後藤参政より昨日申被聞候。是も、もの〃ついでに鳥渡聞候事故、今日四ツ時に彼是取遣候為、私より後藤の方参り候はずニ致候。大兄御同行のことはまだ不申候得ども、今日は申出シ必御同行と存居申候。
夫であなた及私し家来一人〆三人ニて今日出足七ツ時頃よりも出かけ致度、其御心積ニて、先キ触大津の方迄御出し可被遣候よふ御頼申入候。竊ニ聞ク、越前侯は廿八日国を発シ上京と。夫で我等はよふ出足を急所也。先は早々、頓首。廿四日龍健三郎先生梅太郎左右 |
| 現代文 |
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ただいまは、お使いを寄こして下されてありがとうございます。越前行きは今日出立するよう後藤参政(後藤象二郎:土佐藩高官)から言われました。これも、もののついでにちょっと聞いたことなので、今日の四ツ時(昼の十時ごろ)にあれこれ打ち合わせるため、私のほうから後藤のところへ参るつもりです。大兄(岡本健三郎:土佐藩士)が同行することはまだ話していませんが、今日申し出て、必ず同行していただくつもりでいます。
そこで、あなたと私と家来一人の計三人で、今日の七ツ時(夕方四時ごろ)から出かけたいので、そのおつもりで、大津の方まで先触れを出しておいていただくようお願いします。ひそかに聞いたところでは、越前侯は二十八日に国を発って上京するそうです。まずは急ぎ用件のみ。24日龍馬 健三郎先生へ(岡本健三郎:土佐藩士) |
出典:原文は宮地佐一郎編『龍馬の手紙』(講談社学術文庫)によります。現代文は、運営者がこの原文をもとに独自に訳したもので、解説も運営者が書いています。
この手紙について
海援隊士・岡本健三郎へ宛てた手紙です。越前行きを今日出立するよう後藤象二郎から言われたことを伝え、あわせて身辺の細かな用向きを頼んでいます。この越前行きは、新政府の財政を託すべき人材・由利公正(三岡八郎)を福井に訪ねるためのもので、龍馬が新国家の青写真を描いていたことを物語る一通です。
宛先「岡本健三郎」とはどんな人物か

土佐出身の海援隊士で、龍馬に従って越前福井への旅にも同行した人物です。のちに明治政府の官僚となりました。龍馬が信頼して行動を共にした仲間の一人です。
この手紙が書かれたころ
大政奉還を成し遂げ、次は新政府をどう作るかへと目を向けていたころの龍馬です。財政を担う人材を求めて福井へ向かうなど、倒幕のその先の国づくりを見据えて動いていました。大政奉還ののち、新しい政府の樹立が現実の課題となっていました。誰がどのように国を運営するのか、その設計が急がれていた時期です。土佐藩が大政奉還を後押ししたのち、龍馬は新政府の構想づくりに動いていました。福井の由利公正を招く働きかけは、明治新政府の財政の礎ともなりました。
後藤参政の命で急いだ越前行きの段取り
宮地佐一郎はこの手紙を慶応三年十月二十四日付と比定しています。前日に後藤象二郎から越前行きを告げられた龍馬が、岡本健三郎に、あなたと私と家来一人の計三人で当日の七ツ時ごろに発ちたいと伝え、大津まで先触れを出すよう頼んだ内容です。「越前侯は廿八日国を発シ上京」と聞いて出発を急いだ事情も書かれ、署名には「龍」と変名の「梅太郎」を並べています。原本は京都の足立家に伝わると宮地は記しています。
高知県立坂本龍馬記念館の展示解説によると、この福井行きは後藤の命によるもので、大政奉還後の徳川家のあり方を前藩主松平春嶽に聞くことと、新政府の財政策を三岡八郎に聞くことが目的でした。福井市の歴史のみえるまちづくり協会の解説では、同年十一月に龍馬が福井を訪れ、三岡と会談して日本の将来を語り合ったとされます。宮地の本で次に並ぶのは十一月七日付の陸奥宗光あてで、福井への往復はこの二通の間にあたります。
同じころの京都—慶喜の将軍辞職
京都では この手紙の日付と同じ慶応三年(1867)十月二十四日、徳川慶喜は朝廷に将軍職を辞めたいと願い出ました。大政奉還に続いて、征夷大将軍の職そのものも返そうとしたのです。ただし朝廷はすぐにはこれを認めず、慶喜は徳川家の当主として大きな力を持ち続けます。
宛名の岡本健三郎 岡本健三郎は土佐藩士で、このころ龍馬とともに福井へ赴くことになる人物です。新しい政府の財政を誰に任せるか—龍馬はその答えを、越前福井の三岡八郎(由利公正)に求めようとしていました。
慶応三年十月下旬、越前へ向かう前の龍馬
慶喜の将軍辞職
この手紙が書かれた十月二十四日、将軍徳川慶喜は朝廷に将軍職の辞表を出しました。十四日の大政奉還に続く一手です。政権を返したあとの新しい政治の形は、まだ何も決まっていませんでした。龍馬はこのころ、新しい政府の骨組みとなる考えをまとめようとしていました。
越前で会った三岡八郎
手紙にある越前行きは、福井藩の前藩主・松平春嶽に会うためのものです。龍馬は十月末に京都を発ち、福井で春嶽に面会したほか、財政に明るい福井藩士・三岡八郎(のちの由利公正)と語り合いました。三岡は、のちに明治新政府で太政官札の発行などにかかわる人物です。新しい政府には金の裏付けが要ると考えていた龍馬にとって、欠かせない相手でした。
岡本健三郎と後藤象二郎
宛先の岡本健三郎は土佐藩士で、龍馬の福井行きにも同行しました。越前行きを命じたのは、土佐藩参政の後藤象二郎です。大政奉還の建白を進めた後藤は、新しい政府づくりでも龍馬の力を頼りにしていました。龍馬は藩の正式な使いとして、福井へ向かったことになります。
坂本龍馬の手紙139通(現代翻訳文)一覧


