坂本乙女(姉) 宛
| 原文 |
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扨も々、御ものがたりの笑しさハ、じつにはらおつかみたり。秋の日よりのたとへ、もつともおもしろし笑しと拝し申候。私事かの浮木の亀と申ハ何やらはなのさきにまいさがりて、日のかげお見る事ができぬげな。此頃、みよふな岩に行かなぐり上りしが、ふと四方を見渡たして思ふニ、扨世の中と云ものハかきがら計である。 人間と云ものハ世の中のかきがらの中ニすんでおるものであるわい、おかし々。めで度かしこ。龍馬乙姉様御本猶おばあさん、おなんさん、おとしさんの御歌ありがたく拝し申候、かしこ猶去年七千八百両でヒイ々とこまりおりたれバ、薩州小松帯刀申人が出しくれ、神も仏もあるものニて御座候先日中、私の手本つがふあしく一万〇五百両というものハなけれバならぬと心おつかいしニ、不計も後藤象二郎と申人が出し出しくれ候。此人ハ同志の中でもおもしろき人ニて候。かしこ。 |
| 現代文 |
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さてさて、お手紙のお話のおかしさには、本当にお腹を抱えました。秋の日よりのたとえで、もっとも面白くておかしいと思います。私はあの浮木の亀というもので、何やら鼻の先にぶら下がって、日の光を見ることができないようです。最近みょうな岩に行って登って、ふと四方を見渡してみると、さてさて世の中というのはカキの殻のようなものだと思った。 人間というものは世の中のカキの中に住んでいるようなものあるわい、あぁおかしい。龍馬乙女様なお、おばあさん、おなんさん、おとしさんの歌ありがたく頂戴しました。去年7800両でヒイヒイと困っていると薩摩の小松さんが出してくれて、神も仏もあるものですね。さらに、先日は都合悪く私の手元に10500両がなく、図らずも後藤象二郎という人が出してくれた。この人は同志の中でも面白い人でございます。 |
出典:原文は宮地佐一郎編『龍馬の手紙』(講談社学術文庫)によります。現代文は、運営者がこの原文をもとに独自に訳したもので、解説も運営者が書いています。
この手紙について
姉・乙女へ宛てた、思索とユーモアの入りまじった手紙です。ある物語のおかしさをお腹を抱えて笑ったこと、そして妙な岩によじ登って四方を見渡すと、世の中はまるでカキの殻のようで、人はそのカキの中に住んでいるのだと感じたこと―龍馬らしい大きな視点と諧謔がにじむ一通です。天下を相手にする男の、ふとした人生観がのぞきます。
宛先「坂本乙女」とはどんな人物か
龍馬の姉で、弟のこうした人生談議にも付き合える知性の持ち主でした。龍馬は姉を相手に、笑い話にことよせて自らの世界観を語っています。
この手紙が書かれたころ
狭い殻を破って広い世界を見はるかす―そんな視点をこの時期の龍馬はすでに持っていました。目先の政局に追われながらも、人と世の中を一段高いところから眺める余裕を失いませんでした。倒幕へ向けて政局が緊迫していくなか、志士たちは日本という国の行く末を大きな視野で考えはじめていました。旧来の殻を破ろうとする気運が、時代の底に流れていました。土佐の人々もまた、藩という殻の内から広い世界へと目を向けはじめていました。龍馬はその先頭を歩み、故郷の人々に新しいものの見方を示していきます。
恩人の名は「後藤庄次郎」、一万五百両を出した人
宮地佐一郎編『龍馬の手紙』では第六十二通にあたります。書面に日付がないため、「慶応三年四月初旬」は宮地による推定です。この手紙は京都国立博物館が所蔵する重要文化財で、同館の解説も、後藤から一万五百両の援助があったことに触れています。文化遺産オンラインの解説は、姉乙女からの手紙への返信と位置づけたうえで、小松帯刀と後藤がのちに龍馬の仲介で薩土盟約を結ぶことになると記しています。
宮地の本文では、援助の主の名は「藤藤庄次郎」とあり、最初の「藤」に「後(ママ)」と注記した形で収められています。同じ乙女にあてた四月七日付の手紙(宮地の第六十一通)でも、龍馬は「後藤庄次郎どの」と書いており、このころの龍馬が後藤の名を「庄次郎」と書いていたことが分かります。同じころの四月六日付、伊藤助太夫あての手紙(第六十通)では、小曽根英四郎の店の番頭を通じて六百両を差し出し、残る二百両はしばらく借りておくと伝えています。
同じころの龍馬—海援隊の約規
海援隊の決まり 慶応三年(1867)四月に生まれた海援隊には、龍馬が定めたとされる「海援隊約規」があります。土佐を脱した者、他藩を脱した者でも、海外に志のある者はこの隊に入ることができる。運輸・射利(商い)・開拓・投機を行い、土佐藩を助ける。隊の掟を破った者は隊長が処分する—。身分や藩をこえた若者たちの集まりを、商いを中心とした組織として動かそうとしたことがわかります。
姉への報告 この四月、龍馬は姉の乙女に、自分が土佐藩の海援隊の隊長となったことを書き送っています。脱藩してから五年、龍馬はようやく故郷の家族に胸を張って自分の仕事を語れる立場になったのです。
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