お登勢 宛
| 原文 |
| 先日手紙さし出し候あとにて箱が一ツある。宿のをかみさんが、もし是は何ンでござりますゾへ、こ〃にわすれた。夫ハさておき今日虎がきて心の竹をかきくどき彼一ツけんを咄し聞候、今すこし御めいわくかけ金でこふとハおもわなだに、御気の毒様にて候。かしこ。十三日〆寺田屋様うめより御直披 |
| 現代文 |
| 先日の手紙を差し出した後に、宿の女将さんがこれは何ですか?と聞いてきて、気がつくと箱を一つ差し出すのを忘れました。それはさておき、今日は千屋寅之助(海援隊士)が来て、心境を訴えてきて、その一件の話を聞きました。少しばかりお金で迷惑をかけて、こうなるとは思わなかったので、お気の毒さまでした。13日寺田屋様うめより(梅太郎:龍馬変名) |
目次
この手紙について
「先日の手紙のあとで、宿の女将に箱を一つ渡し忘れてしまいました。それはさておき、今日は千屋寅之助(海援隊士)が来て胸の内を訴えてきました。少しばかり金で迷惑をかける結果になり、気の毒だった」という、身近な出来事をつづった私信です。十三日付、うめ(才谷梅太郎)の署名。仲間の相談ごとにも心を配る、龍馬の面倒見のよさがのぞきます。
宛先「お登勢」とは
お登勢は京都伏見の寺田屋の女将で、龍馬夫妻の恩人でした。龍馬が日々の出来事を気軽に書き送れる、身内のような存在でした。
この手紙が書かれたころの龍馬の境遇
海援隊士の悩みごとにも耳を傾け、金の面倒まで見ていました。組織の長として、人の世話に追われる日常があったことがうかがえます。
幕末全体の動き(慶応年間)
志士たちの集団は、金銭や人間関係の悩みとも無縁ではありませんでした。理想を追う裏に、こうした生活の現実がありました。
土佐藩の当時の動き
千屋寅之助のような土佐の若者が海援隊に集いました。龍馬は彼らの生活の面倒まで引き受ける、頼れる兄貴分でした。
坂本龍馬の手紙139通(現代翻訳文)一覧

