お登勢 宛(慶応三年二月十三日・63通目) 坂本龍馬の手紙 原書と現代文翻訳

お登勢 宛

原文
此さし出候帯屋も助たしかなる人なれバ、皆々様御返じ何なりとも御なし可被下候。私がおり候所ハ、下の関東本陳伊藤助太夫右の所ニて候御返じ御こし。私しの名ハ、薩州才谷梅太郎と御あてニて御こし。
現代文
これを差し出した帯屋も確かな人なので、みなさんお返事など何なりと申しつけて下さい。私がいる場所は、下関本陣の伊藤助太夫宅です。ここ宛に早々にお返事下さい。私の名前は薩摩藩の才谷梅太郎宛にしておいて下さい。

出典:原文は宮地佐一郎編『龍馬の手紙』(講談社学術文庫)によります。現代文は、運営者がこの原文をもとに独自に訳したもので、解説も運営者が書いています。

目次

この手紙について

「使いの帯屋も確かな人なので返事を託してよい。私は下関の伊藤助太夫宅にいます。返事は『薩州 才谷梅太郎』宛で送ってほしい」という連絡です。追われる身の龍馬が、変名と信頼できる宿を使い分けて連絡を取っていた様子がよくわかります。年は不明ですが、下関を拠点にしていた慶応年間のものとみられます。

宛先「お登勢」とは

京都・伏見の旅籠「寺田屋」
お登勢が営んだ伏見の寺田屋(現地取材)

お登勢(おとせ)は、京都伏見の旅館寺田屋の女将です。龍馬を長くかくまい、妻となるお龍を養女同然に世話した恩人でした。寺田屋は、龍馬が幕吏に襲われた「寺田屋事件」の舞台でもあります。

この手紙が書かれたころ

幕吏に命を狙われ、変名「才谷梅太郎」を用い、薩摩藩士を装って身を隠していた時期です。信頼できる宿と人が、そのまま命綱でした。倒幕をめざす志士たちは常に幕府の探索にさらされ、身を隠しながら活動していました。宿の女将のような市井の人々の支えが、彼らを陰で守っていました。脱藩浪士の龍馬は土佐藩の保護を受けられず、薩摩藩の庇護を頼りにしていました。藩を越えた人のつながりが、龍馬の身を支えていたのです。

「薩州 才谷梅太郎」あてに返事を

宮地佐一郎編『龍馬の手紙』は、この一通を慶応三年二月十三日のものとしています。宮地の本には同じ日付のお登勢あての手紙がもう一通収められていて、この日の龍馬は伏見の寺田屋へ続けて筆をとったことになります。原本は京都府の所蔵とされます。

この手紙でいちばん面白いのは、返事の宛て先の指図です。私のいるのは下関の本陣伊藤助太夫のところで、名前は「薩州 才谷梅太郎」として送ってほしい、と書いています。土佐の脱藩者である龍馬が、薩摩の者として手紙を受け取ろうとしていたわけです。脱藩の罪がまだ赦されていない時期で、亀山社中は薩摩藩の後ろ盾で動いていましたから、薩摩の名を借りるのがいちばん安全でした。この二か月後の四月に脱藩が赦され、社中は土佐藩の海援隊へと改まります。「薩州 才谷梅太郎」は、その直前の、宙ぶらりんの身分を示す名乗りでした。

同じころの龍馬—下関の伊藤家と「自然堂」

下関の暮らし 慶応三年(1867)の初め、龍馬は下関の豪商・伊藤助太夫の屋敷の一室を借りて、住まいとしていました。龍馬はこの部屋を「自然堂(じねんどう)」と名づけ、二月にはお龍もここに移り住みます。長崎で船と商いを動かしながら、下関に家族の居場所を置いたのです。

「薩州 才谷梅太郎」 この手紙で龍馬は、返事の宛名を「薩州 才谷梅太郎」とするよう頼んでいます。才谷梅太郎は龍馬の変名で、薩摩藩士を名のることで幕府の目を避けようとしたものです。寺田屋事件から一年が過ぎても、龍馬は追われる身であることに変わりはありませんでした。

慶応三年二月、下関の龍馬と高知の兄

浪人から、土佐藩と手を組む立場へ

この年の一月、龍馬は長崎の清風亭で、土佐藩参政の後藤象二郎と初めて会談しました。かつて土佐勤王党を弾圧した側の後藤と、脱藩浪士の龍馬が手を結んだこの会談から、亀山社中と土佐藩の関係が動き出します。龍馬と中岡慎太郎の脱藩の罪が許されたのも、このころとされます。ただし、赦免の時期については、慶応二年とする説、慶応三年一月とする説、二月とする説があります。

自然堂の暮らし

龍馬がお龍とともに下関に来て、本陣・伊藤助太夫の屋敷の一室を借りたのは、二月十日のことです。龍馬はこの部屋を「自然堂」と名づけました。この手紙が伊藤家を返事の送り先に指定しているのは、ここが龍馬の新しい拠点になったばかりだったからです。

兄・権平と家宝の刀

前の年の十二月、龍馬は兄の権平に手紙を出し、坂本家に伝わる刀を送ってほしいと頼んでいました。この手紙の三日後の二月十六日、西郷隆盛が土佐に入ります。権平はその滞在中に、家宝の刀「吉行」を龍馬に渡してほしいと西郷に託しました。脱藩に反対した兄は、このころには資金の面でも弟を支える存在になっていました。

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