印藤聿 宛(27通目) 坂本龍馬の手紙 原書と現代文翻訳

印藤聿 宛

原文
二白、今夜も助太夫とのみ呑ており申候。昨夜道路中うかゞい候事件色々相考候所、何レ急成ハかへりて両方の志通じかね候ヘバ、何を申ても共に国家をうれへ候所より成立候論なれば、両方の意味が通達して両方から心配して其よろしきおへらみ候方よろしく、そふなけれバ両方より道也、義也と論を吹合候よふニなれバ、かへりてがいを生じ候べく、談笑中ニともに宜を求め候よふでなけれバ、とても大成ハなりがたくと奉存候。何レ御深慮千万の中と奉存候。右御報拝捧候。十二日龍印藤大兄足下猶けふハ船の事大ニ御セ話被遣候。御礼千万語言にかへかね候。〇いさ順助兄も唯今出崎時計御頼ニ候て御帰り被成候。再拝々。印藤大将軍陣下龍返報入
現代文
追伸、今夜も伊藤助太夫と飲んでいます。昨夜から貴方からご相談された件で考えていました。何にしても急ぎすぎてはかえって双方の心が通じないことと思います。、何と言ってもお互いに国家のことを憂いていることは同じてあり、双方の考えを理解しあうことが大事です。そうでなければ、双方あれやこれやの議論になり、かえって障害が発生することになります。笑いなどを絡めて和やかな会談にしなければとても大成させることは難しいと思う。何にしてもよく考えないといけないですね。その旨、上記の事ご報告致します。12日龍馬より印藤聿様へ※印藤聿(長府藩士でのちの豊永長吉)なお、本日は船のことで本当に世話になりました。お礼の言葉もありません。順助兄(小野淳輔のことで、甥の高松太郎が改名した名前)もただいま外出先から帰ってきました。印藤聿様へ龍馬より

出典:原文は宮地佐一郎編『龍馬の手紙』(講談社学術文庫)によります。現代文は、運営者がこの原文をもとに独自に訳したもので、解説も運営者が書いています。

目次

この手紙について

長府藩士・印藤聿へ宛てた一通で、その夜も伊藤助太夫と酒を酌み交わしながら、前夜に相談された件への思案を伝えています。事を急ぎすぎれば双方の心は通じない、国を憂う思いは同じなのだから、笑いを交えた和やかな席でこそ大事は成る―そう説く言葉に、対立する者どうしを結びつける龍馬の周旋の極意が凝縮されています。

宛先「印藤聿」とはどんな人物か

長府藩の藩士で、のちに豊永長吉と名乗った人物です。下関で龍馬を支え、船の世話などをした協力者で、龍馬が長州側に得た信頼できる味方の一人でした。

この手紙が書かれたころ

下関を足場に、いがみ合う薩摩と長州の和解に奔走していたころの龍馬です。相手の面目を立て、和やかな場をつくって本音を通わせるという流儀こそ、龍馬が難事をやり遂げた秘訣でした。第二次長州征伐を前に、孤立した長州をどう救うかが倒幕派の大きな課題でした。感情の対立を越えて雄藩どうしを結ぶには、理屈を超えた人心の周旋が欠かせませんでした。土佐が沈黙するなか、龍馬は長州や薩摩の人々と、藩の肩書ではなく人と人との信頼で結ばれていました。その人柄こそが、時代を動かす見えざる力となっていました。

池内蔵太への急報から九日後、下関で書かれた「両方」への思案

宮地佐一郎編『龍馬の手紙』では第二十一通にあたります。書面には「十二日」としかなく、慶応元年十月という年月は宮地による比定です。九日前の十月三日付、池内蔵太あての手紙(宮地の第二十通)で龍馬は、九月二十九日に上関に着いたこと、九月二十一日に将軍が参内し、一橋・会津・桑名が長州追討の勅命を朝廷に迫ったこと、薩摩だけが「非義の勅」には従わないと論じたことを知らせ、これから山口へ向かうと書いています。この手紙の「両方」が誰を指すかは本文に明記されていませんが、こうした報せを携えて長州に入った直後の一通です。

書き出しに名が出る伊藤助太夫は、長府藩の本陣を務めた下関の伊藤家の当主です。山口県立山口図書館の展示解説は、慶応元年以来、龍馬が下関に来るたびに伊藤家を宿にしたと紹介しています。印藤へはこの後も、十二月三日付で、十一月二十四日に大坂を出帆し、上関を経て下関に着いたと知らせており(宮地の第二十二通)、下関に戻るたびに印藤へ一報を入れていたことが分かります。

同じころの大坂—将軍家茂の辞表

大坂では 慶応元年(1865)十月一日、将軍家茂は条約勅許をめぐる朝廷との対立のなかで、将軍職を一橋慶喜に譲りたいとする辞表を朝廷に出しました。慶喜らの説得で辞意はまもなく撤回されますが、二十歳の将軍が追い詰められていたことを示す出来事でした。家茂は翌年七月、大坂城で亡くなります。

龍馬と印藤聿 龍馬はこのころ、長府藩士の印藤聿に宛てて、上関や下関での自分の動きや京都の情勢を書き送っています。下関の印藤は、京都の情報を長州へ伝える大切な中継ぎの役目を果たしていました。

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