坂本乙女 宛
| 原文 |
| 西町蔵母ハいかゞ、定きづかいなるべし。然レバ蔵ハ此頃相不変一軍─四百人計─の参謀となり、戦場ニも鞭をとり、馬上ニて見廻りなど仕候。事なき時ハ自ら好て軍艦ニ乗組候て稽古致し候。勢盛なる事ニて候。先日もはからずあい申候て色々大はなし致し候。むかし西町のさハぎなどたがいニ申、実ニおもしろし。かの方へ御申し。かしこ。 |
| 現代文 |
| 西町の池内蔵太の母上はいかがですか。きっと心配なさっていることでしょう。内蔵太はこの頃も相変わらず400人くらいの軍の参謀であり、戦場でも鞭をとって、馬に乗って見回りなどをしています。時間がある時は、自分で好んで軍艦に乗って訓練などもしています。実に熱心なことです。先日も大いに色々な話をしました。むかし、西町の騒ぎ(上士と郷士の間で起こった刃傷事件)などをお互いに話して実に懐かしいです。池家族へも宜しくお伝え下さい。 |
出典:原文は宮地佐一郎編『龍馬の手紙』(講談社学術文庫)によります。現代文は、運営者がこの原文をもとに独自に訳したもので、解説も運営者が書いています。
この手紙について
「西町の池内蔵太の母上はいかがですか、きっと心配なさっているでしょう。内蔵太は相変わらず四百人ほどの軍の参謀として、戦場で鞭をとり馬上で見回り、暇があれば軍艦に乗って稽古までしています。実に勢い盛りました。先日も思いがけず会って、昔の西町の騒ぎ(上士と郷士の刃傷事件)を語り合い、懐かしかった」と、盟友の近況を姉に伝える手紙です。土佐の同志・池内蔵太の勇姿と、故郷の思い出がいきいきと語られています。
宛先「坂本乙女(姉)」とは

坂本乙女は龍馬の姉で、郷里の人々の消息を分かち合える相手でした。龍馬は姉への手紙で、同志たちの様子もよく伝えています。
この手紙が書かれたころ
各地で土佐の同志と再会し、旧交を温めながら活動していました。故郷を離れてなお、土佐の絆はしっかりと生きていました。諸藩で軍事の近代化が進み、若い志士が軍の指揮をとる時代になっていました。池内蔵太も、その新しい時代の武人の一人でした。池内蔵太は龍馬とともに海で活動した土佐の勇士ですが、のちに船の遭難で若くして命を落とします。故郷の仲間の運命もまた、激動の時代に翻弄されました。
脱藩から二年、池内蔵太の母を気づかう一節
この手紙は宛名も日付も欠けていて、宮地佐一郎編『龍馬の手紙』は、慶応元年秋ごろの坂本乙女あてと推定しています(続六)。年も宛先も宮地の推定によるものです。龍馬はその二年前、文久三年六月十六日付で池内蔵太の母へ直接手紙を書いています(九番)。前月に脱藩した内蔵太について、家族が泣いて嘆いては本人を辱めることになると説き、母の心を安めようとした一通です。
高知県立坂本龍馬記念館の解説によれば、内蔵太は脱藩ののち天誅組の挙兵や禁門の変に加わり、慶応元年五月に下関で龍馬と会ってから亀山社中に加わって行動を共にしました。「好んで軍艦に乗り組み稽古している」という知らせは、この時期の内蔵太の姿として読めます。二年前に慰めた母へ、今度は息子の元気な様子を姉を通じて届けようとしたことがうかがえます。
同じころの日本と土佐—慶応元年の秋
世の中では 慶応元年(1865)、幕府は長州を再び討つことを決め、将軍家茂は五月に江戸を発って大坂城に入りました。九月二十一日には朝廷から長州再征の勅許が出ます。一方、長州では高杉晋作らが藩の主導権を握り、外国から武器を買い入れて戦いに備えていました。龍馬は長崎に仲間とともに亀山社中を置き、薩摩と長州を結ぶための動きを始めていました。
土佐では この年の閏五月十一日、土佐勤王党の盟主・武市半平太が切腹を命じられています。容堂のもとで勤王党は壊滅し、党に加わった郷士たちの多くが処罰されました。脱藩した龍馬が故郷の家族に宛てた手紙には、そうした土佐の空気への気づかいもにじんでいます。
池内蔵太と土佐の母
池内蔵太という人
手紙に出てくる池内蔵太は、龍馬と同じ高知城下の出身で、龍馬と同じく土佐を脱藩した仲間です。文久三年の天誅組の変に加わり、その後は長州に身を寄せて、長州藩の諸隊の一つで戦いました。龍馬が「四百人ほどの軍の参謀」と書いているのは、そのころの内蔵太の姿です。のちに亀山社中に加わりましたが、慶応二年五月、ワイルウェフ号が五島沖で沈んだ際に命を落としました。
脱藩者の家族
脱藩は藩の掟を破る重い罪で、残された家族も肩身の狭い思いをしました。内蔵太の母を気づかうこの一節には、同じく家族を土佐に残して出た龍馬自身の思いも重なっていたのでしょう。龍馬は姉への手紙を通じて、仲間の家族の様子を尋ね、仲間の近況を知らせていました。
坂本家の新しい命
このころ高知の坂本家では、姪の春猪が二人目の娘・兎美を慶応元年に産んでいます。長女の鶴井は前の年の元治元年生まれでした。龍馬が土佐を出てから、家族の顔ぶれも少しずつ変わっていました。
坂本龍馬の手紙139通(現代翻訳文)一覧



