| 安藤雅次郎 | |||
| 職名 | 諸士取調役兼監察 | ||
| 出身 | 上総 | ||
| 終焉場所 | 江戸 | ||
| 終焉方法 | 病没 | ||
慶応元年に入隊し慶応2年の三条制札事件に出動。
鳥羽伏見の戦いを経て江戸に帰還するが程なく病死しました。
新選組隊士全456名情報
目次
この隊士について分かっていること
安藤雅次郎について、現在たどれるのは名前と役職までです。当サイトの隊士情報は新選組隊士を網羅した書籍を参照していますが、生没年、出身、隊を離れた事情、その後の消息については、そこにも記載がありません。公開されている他の資料でも確認できませんでした。池田屋で負傷して亡くなった副長助勤の安藤早太郎とは別人です。
「諸士取調役兼監察」はどういう役だったのか
隊内の監視と、隊の内外の情報収集を兼ねた役です。長州藩士や尊攘過激派の探索、隊内に潜り込んだ間者の詮索、近藤勇や会津藩への状況報告——これらを担いました。文久三年九月の設置時は三名、慶応元年三月には八名になったとされます。
監察という役職について、「仕事柄、史料として残されているものは少ないだろう」という指摘があります。記録を残さないことが仕事の一部だった、という見方です。
なぜ記録が残っていないのか
新選組には、一時的にでも延べ五百名以上が在籍したとされます。一方、同時に在籍したのは最大でも二百三十名ほど。半数以上が短期間で去った計算になります。隊士数が変わるたびに組織表は作り替えられ、前の版は残りませんでした。
くわしくは幕末の新選組、隊士名簿はなぜ食い違うのかにまとめています。

