| 長崎形 | |||
| 藩名 | 江戸幕府 | ||
| 藩主 | 徳川慶喜 | ||
| 船種 | カッター級輸送船 | ||
| 機関 | 帆走 | ||
| 備砲 | 0門 | ||
| 材質 | 木製 | ||
| 馬力 | 0馬力 | ||
| 写真 | 無 | ||
■ 詳細
長崎海軍伝習所の伝習生が、長崎の大波止で建造した一本マストのカッター型帆船です。安政三年十月二十一日に起工し、安政四年五月二十五日に進水しました。建造費は二千両。瓊浦形、玉浦形とも呼ばれます。航海の練習に使う船でした。
所属した江戸幕府と、長崎・出島
この船・長崎形を運用したのも、江戸幕府です。幕府が西洋の海軍技術を学ぶ窓口となったのが、長崎でした。
鎖国のもとでも、長崎の出島を通じてオランダとの交流は続いており、幕末にはここに海軍伝習所が置かれ、オランダ人教官から最新の航海術がもたらされました。長崎形の名も、この地で学ばれた洋式造船に由来するとみられます。幕府海軍の歩みは幕末の軍艦のページへ。
幕末軍艦一覧リスト
このページには、別の船の説明が入っていました
先にお断りしておきます。当ページの説明として長らく、千八百六十四年に幕府がアメリカへ二十四万ドルで発注しニューヨークで造らせた最新鋭の大型艦、という文章が載っていました。これは長崎形ではなく、富士山丸の説明です。長崎形は幕府がアメリカへ発注した船ではなく、日本人が長崎で造った小さな練習船でした。差し替えましたので、記録として書き添えておきます。
伝習生が、自分たちで造りました
長崎形は、長崎海軍伝習所の伝習生が長崎の大波止で建造した一本マストのカッター型帆船です。当時はコットル船と呼ばれました。安政三年十月二十一日に起工し、安政四年五月二十五日に進水しています。建造費は二千両。長さ二十一・九五メートル、幅五・四九メートル。瓊浦形、玉浦形とも呼ばれますが、どちらも長崎の古い呼び名です。
勝海舟が、座礁させています
この船には逸話が残っています。勝海舟が指揮した練習の航海の最中に座礁し、船尾を傷めて長崎で修理を受けました。習うために造った船で、習っている最中に乗り上げたことになります。
佐賀藩が、同じ型の船を造りました
長崎形には同じ型の船があります。佐賀藩の晨風丸です。安政四年十一月十一日に起工し、翌安政五年に進水しました。進水式には藩主の鍋島直正が自ら出ています。長さおよそ二十一・八メートル、幅およそ五・七六メートルで五十トン。当サイトの晨風丸のページはこの船を三重津で造ったとしていますが、三重津に御船手稽古所が置かれたのは安政五年二月で、起工より後になります。晨風丸も長崎の大波止で造られたとする資料のほうが、時系列に合います。
国産の小さな船が、いくつも並んだ時期です
安政の数年間、日本は同じような小さな洋式船を各地で造っています。幕府が伊豆の戸田村と石川島で造った君澤形丸が十隻。仙台藩が松島湾の寒風沢島で造った開成丸が安政四年六月二十八日に進水。長州藩が萩の恵美須ヶ鼻で造った丙辰丸が安政三年。そして長崎形と晨風丸です。大きな蒸気船を買う金のない藩も、まず小さな帆船から手をつけていました。

