沢村惣之丞(関雄之助)【海援隊士 幕末亀山社中】

沢村惣之丞(関雄之助)
出身 土佐
職名

沢村惣之丞は、幕末の土佐藩出身の人物です。
別名、関雄之助。

土佐国土佐郡潮江村の浪人の子として生まれます。間崎哲馬に師事し、学問を学びます。その後土佐勤王党に加入しました。
文久2年に吉村虎太郎と共に土佐藩を脱藩します。武市半平太への現状報告のため一時帰国するが、その後坂本龍馬らと再び脱藩しています。勝海舟の門下生となり、海援隊に属します。

慶応3年には坂本龍馬暗殺(近江屋事件)の容疑者であった三浦休太郎の暗殺計画に参加するが、失敗に終わった(天満屋事件)。
翌年には維新の混乱から無人状態となった長崎奉行所に、沢村ら海援隊の人間が中心となって入居し、長崎の町を警備しました。しかし1月14日の警備中、薩摩藩士・川端平助を誤殺してしまいます。沢村は薩摩藩との軋轢を恐れ、海援隊本部で、薩摩藩関係者の制止にもかかわらず割腹しました。享年26。

沢村惣之丞(関雄之助)【海援隊士 幕末亀山社中】

海援隊士の一覧を見る

目次

龍馬と脱藩をともにした同志

沢村惣之丞(関雄之助)は、坂本龍馬の脱藩に付き従った古参の同志で、亀山社中から海援隊へと龍馬と行動をともにしました。航海術にも通じ、海援隊の実働を支えた信頼の厚い隊士でした。

誤射の責を負った最期

戊辰戦争のさなかの長崎で、沢村は敵と誤って味方である薩摩藩士を射殺してしまいます。同盟する薩摩藩との関係を重んじた沢村は、その責任を一身に負って自刃しました。1868年(明治元年)のことです。仲間と新政府の立場を守るために自らの命を差し出した、海援隊士らしい潔い最期でした。

▼ ほかの隊士もまとめて見る
亀山社中・海援隊の隊士一覧——龍馬がつくった「会社」に集まった五十四人

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次