| 坂本 龍馬 | |||
| 出身 | 土佐藩 | ||
| 職名 | 隊長 | ||
坂本龍馬は誰もが知る有名な歴史上の人物で、大政奉還の影の立役者であり、薩長同盟の立役者でもあります。勝海舟が幕府の許可を得て運営していた神戸海軍塾が取りつぶしとなった後、龍馬ら土佐脱藩浪士達は行く場をなくし途方に暮れていました。しかし、海舟の紹介もあり、薩摩藩の斡旋で長崎に亀山社中という日本初の株式会社を設立しました。
戦時は海援隊として活動し、平時は亀山社中として貿易や海運業を営むというものでした。龍馬はこの海援隊の隊長であり、亀山社中の社長でもありました。実際に幕長戦争には軍艦を率いて戦ってもいます。海運業のほうでは船を失うなど様々ないきさつがあり中々軌道にのらませんでした。おしくも鳥羽伏見の戦い前に龍馬は暗殺されてしまい、その後の海援隊は「長岡謙吉」を代理隊長として戊辰戦争を歩みました。

海援隊を率いた幕末の風雲児
坂本龍馬は土佐藩の郷士の家に生まれ、脱藩して各地を巡るなかで勝海舟に師事し、海軍と国際情勢に目を開かれました。やがて長崎で貿易と海運を担う結社「亀山社中」を立ち上げ、これがのちに土佐藩の外郭団体「海援隊」へと発展します。海援隊は単なる武力集団ではなく、商業・海運・人材育成を通じて新しい国のかたちを模索した、当時としては先進的な組織でした。
薩長同盟と大政奉還
龍馬の最大の功績は、犬猿の仲であった薩摩藩と長州藩を仲介し、倒幕へと向かう薩長同盟の成立を助けたことです。また、武力衝突を避けつつ政権を朝廷へ返上する大政奉還の実現にも大きく関わったとされます。新しい国家構想を示した「船中八策」も、龍馬の名とともに語られます。
近江屋事件
しかし、新時代を目前にした1867年(慶応3年)11月、龍馬は京都の近江屋で何者かに襲われ、盟友・中岡慎太郎とともに落命しました。享年33。既存の枠にとらわれない発想と行動力で時代を動かした龍馬は、今なお幕末で最も愛される英雄の一人です。
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