【藩名】
新発田藩
【説明】
「戊辰戦争」が勃発すると新発田藩では新政府軍よりの立場をとろうとするも、近隣諸藩が「奥羽越列藩同盟」に加盟したため、やむなくこれに加盟します。同盟側は「新発田藩」を参戦させようと謀り、藩主「溝口直正」を人質にとろうと試みたが、新発田藩の強い抵抗にあい阻止されました。

その後、新政府軍が高田藩にまで進出すると長岡藩との間で北越戦争が勃発。この戦闘の最中「新発田藩」は突如新政府軍に合流し参戦することとなります。長岡藩はこの裏切りにより挟撃される形となり、結果的に城は落城し藩主以下会津へと退きました。
新政府軍に投じたため新発田藩領は戦火から守られたが、この時の裏切り行為は越後長岡藩などから非難され後々まで周辺地域との間にしこりを残すことになりました。それでも新発田藩溝口家は処罰を受けることもなく、明治時代に至るまで12代にわたり新発田を統治しました。
目次
越後の大藩・新発田藩
新発田藩は、越後国蒲原郡(現在の新潟県新発田市)に置かれた十万石の藩で、美しい新発田城を居城とし、藩主は溝口家でした。越後平野の北部を治める、この地方の有力な藩でした。
北越戦争での転換
戊辰戦争の北越戦争において、新発田藩は当初、奥羽越列藩同盟に加わっていました。しかし新政府軍が越後へ迫ると、藩は同盟を離れて新政府側へと転じます。この動きは同盟軍の背後を突く形となり、北越の戦局に大きな影響を与えました。大藩ゆえに、その進退が戦いの行方を左右した藩です。
【場所・アクセス・地図】
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