溝渕広之丞(みぞぶち ひろのじょう)は、坂本龍馬を後藤象二郎に引き合わせた土佐藩士です。慶応三年(1867年)一月十三日、長崎の清風亭で開かれたその会談によって、龍馬らの脱藩は赦され、亀山社中は土佐藩の外郭団体となりました。四月には名を海援隊と改めます。つまり海援隊は、この人の斡旋から生まれています。
龍馬とは江戸の千葉道場で同門でした。砲術を修めた人でもあり、龍馬は手紙のなかで彼を「先生」と呼んでいます。
先に答え—溝渕広之丞がしたこと
- 嘉永六年(1853年)に江戸へ出て、千葉定吉の道場で剣術を、佐久間象山の塾で砲術を学びました。龍馬とは剣術の同門です。
- 慶応二年(1866年)、砲術の修業を名目に長崎へ。実際には情勢の探索も兼ねていたとされます。ここで脱藩中の龍馬と再会します。
- 慶応三年一月十三日、長崎の清風亭で龍馬と後藤象二郎の会談を斡旋しました(松井周助とともに)。これが海援隊の出発点です。
- 慶応三年、土佐藩の持筒役となり、藩兵に砲術を指導しました。
- 維新後は明治政府に仕えず、早くに隠棲しています。
溝渕広之丞の基本情報
| 生没 | 文政十一年(1828年)—明治四十年(1907年) |
|---|---|
| 諱(いみな) | 義直 |
| 身分 | 土佐藩士 |
| 江戸遊学 | 嘉永六年(1853年)。千葉定吉道場で剣術、佐久間象山塾で砲術 |
| 長崎 | 慶応二年(1866年)、砲術修業。情勢探索を兼ねたとされる |
| 役職 | 慶応三年(1867年)、藩の持筒役。藩兵に砲術を指導 |
| 維新後 | 仕官せず隠棲 |
| 表記 | 「溝渕」と「溝淵」の両方が使われます |
千葉道場の同門から
嘉永六年、二十代半ばで江戸に出ます。剣は千葉定吉の道場、砲術は佐久間象山の塾。龍馬が江戸へ出たのも同じ年で、千葉道場では机を並べた仲でした。

この「剣術と砲術の両方を学んだ」という経歴が、のちに効いてきます。土佐に戻ってからは藩兵に砲術を教える立場になり、長崎では龍馬の銃の買い付けを助けることになりました。
清風亭会談—海援隊が生まれた日
慶応三年一月十三日、長崎の旧榎津町にあった料亭・清風亭で、坂本龍馬と土佐藩参政の後藤象二郎が会いました。この席を取り持ったのが、溝渕広之丞と松井周助です。


溝渕広之丞自身の鮮明な肖像は伝わっていません。彼が引き合わせたのは、この二人です。
簡単な仲介ではありません。後藤は、土佐勤王党の武市半平太を死に追いやった側の人物です。脱藩した龍馬にとっても、土佐出身の志士たちにとっても、容易に手を結べる相手ではありませんでした。
それでも会談は成立します。結果、龍馬たちの脱藩は赦され、亀山社中は土佐藩の外郭団体として認められました。四月上旬、名を海援隊と改めます。
清風亭の場所は長く分からなくなっていましたが、二〇〇九年に大光寺の過去帳や明治初期の地図から特定されました。いまの長崎市万屋町五番十一号のあたりです。
龍馬が「先生」と呼んだ—残された二通の手紙
当サイトには、龍馬が溝渕に宛てた手紙が二通あります。
一通は慶応二年十一月十六日の手紙。騎銃(騎兵の使う銃)の買い付けについての相談です。「彼筒の代金は三十一両より三十三両ばかりかと存じ候」と値を書き、別の筋からは四十両と言ってきたので法外だ、と続けます。そして「先生の御力によりそうらわずば外に術なく」——あなたの力がなければどうにもなりません、と頼んでいます。署名は龍馬の変名「才谷梅太郎」、宛名は「溝渕広之丞先生」です。
もう一通は自分の半生を打ち明けた手紙の下書きです。次男に生まれ兄に従ってきたこと、江戸で海軍に志を立てたこと、数年のあいだ東奔西走し、旧友に会っても行きずりの人のように振る舞ってきたこと。故郷を思わないわけがないが、情に流されて志を損なうのが怖い、と書いています。そして「老兄は小弟を愛するものゆえ」——あなたは私をかわいがってくださる方だから、と前置きして打ち明けています。
銃の値段を相談でき、半生の迷いを打ち明けられる相手。龍馬にとって溝渕がどういう存在だったかが、この二通からうかがえます。
裏が取れなかったこと
溝渕については、よく語られるのに確かめられなかった話がいくつかあります。正直に書いておきます。
- 龍馬を勝海舟に引き合わせたという話。今回調べた範囲では根拠を確認できませんでした。
- 龍馬に佐久間象山を紹介したという話。「そう言われています」という形で語られるのみで、出典にたどりつけませんでした。
- 明治以降の詳しい足取りと、墓の場所。隠棲したこと以外は分かりませんでした。直接の資料は東京大空襲で焼け、親族宛ての手紙が残るのみとされます。
参考にした資料
- 当サイト所収「溝渕広之丞 宛 坂本龍馬の手紙」(原文と現代語訳)
- ウィキペディア日本語版「溝淵広之丞」「清風亭」の各項(生没年、江戸遊学、長崎行き、清風亭会談の日付・斡旋者・跡地の特定経緯)



