小野友五郎とは何をした人物か—咸臨丸の測量方、千代田形、甲鉄の買い付け。小栗忠順の下で横須賀にかかわった笠間の和算家

装甲艦・甲鉄(のちの東艦)

2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)は、幕末の幕臣・小栗忠順が主人公です。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。

小野友五郎(おの ともごろう)は、常陸笠間藩の下級藩士の家に生まれ、和算(日本の数学)の腕を見込まれて幕府の天文方に出仕した人物です。長崎海軍伝習所で航海術を学び、万延元年には咸臨丸の測量方として太平洋を渡りました。

その後、国産の蒸気軍艦「千代田形」の建造を担い、勘定吟味役として小栗忠順の下で横須賀製鉄所の敷地選びにかかわり、慶応三年には軍艦の買い付けのため再びアメリカへ渡っています。数学と船の技術で幕府の近代化を支えた技術者です。生まれ、咸臨丸、千代田形、小栗との仕事、二度目の渡米、失脚と明治の順にたどります。

目次

小野友五郎とは—先に答え

生没文化十四年(1817年)十月二十三日生まれ。明治三十一年(1898年)十月二十九日死去。享年八十二
身分常陸笠間藩士・小守家の生まれで、小野家の養子に。文久元年に幕臣となる
得意和算。天文方に出仕し、長崎海軍伝習所で航海術を学んだ
咸臨丸万延元年、測量方として太平洋を横断し、アメリカへ渡った
千代田形国産の蒸気軍艦・千代田形の建造を担当した
小栗との関わり勘定吟味役として勘定奉行・小栗の下で働き、横須賀製鉄所の敷地選定にかかわった
二度目の渡米慶応三年、正使としてアメリカへ渡り、のちの甲鉄となる軍艦を買い付けた
明治慶応四年に免職・投獄。赦されたのち、鉄道の測量や製塩の仕事に携わった

生まれ—笠間藩の和算家

小野友五郎の肖像写真
小野友五郎(出典:Wikimedia Commons、パブリックドメイン)

小野友五郎は文化十四年(1817年)十月二十三日、常陸笠間藩(いまの茨城県笠間市)の藩士・小守家に生まれ、のちに同じ藩の小野家の養子になりました。何男だったかは資料によって三男・四男・五男と分かれています。笠間藩の下級藩士の家です。

友五郎が世に出るきっかけは和算でした。数学の力を認められて幕府の天文方に出仕し、さらに長崎海軍伝習所で、オランダ人教官から航海術や測量を学びます。武士としての家柄ではなく、数学という腕一本で幕府の中に入っていった人です。

咸臨丸で太平洋を渡る

咸臨丸の乗組員たち
咸臨丸の乗組員たち(出典:Wikimedia Commons、パブリックドメイン)

万延元年(1860年)、日米修好通商条約の批准のための使節がアメリカへ向かうと、護衛と練習をかねて咸臨丸も太平洋を渡りました(咸臨丸)。友五郎はこの船の測量方、いまでいう航海長にあたる役で、天体を測って船の位置を割り出しました。勝海舟や福沢諭吉が乗っていたことで知られる航海です。

同じとき、使節の本隊はアメリカの軍艦ポーハタン号で渡っており、その一行には目付として小栗忠順が加わっていました(新見正興・村垣範正とは)。

千代田形—国産の蒸気軍艦

帰国後、友五郎は幕府の軍艦づくりにかかわり、国産の蒸気軍艦・千代田形の建造を担当しました(千代田形)。外国から買うだけでなく、日本で船をつくる。その現場に、測量と計算のできる友五郎がいました。

小栗の下で—横須賀製鉄所の敷地選び

文久元年(1861年)に幕臣となった友五郎は、元治元年(1864年)に勘定吟味役となります。勘定吟味役は勘定所の仕事を監督する役で、勘定奉行の小栗忠順とは、同じ勘定所で働く上役と下役の関係でした(勘定奉行とは何をする仕事?)。

小栗が進めた横須賀製鉄所の建設で、友五郎は敷地の選定にかかわったことが、茨城県立歴史館の解説で確かめられます(横須賀製鉄所とは)。船をつくる場所を選ぶには、水深や地形を測る技術が欠かせません。ここでも友五郎の腕が使われました。

ただし、友五郎と小栗が具体的にどんな相談をし、何を一緒に決めたのかを伝える記録は、それ以上は見つかりません。「小栗の部下として横須賀にかかわった」というところまでが、確かめられる範囲です。

二度目の渡米—甲鉄の買い付け

装甲艦・甲鉄(のちの東艦)
小野友五郎が買い付けにかかわった装甲艦・甲鉄(出典:Wikimedia Commons、パブリックドメイン)

慶応三年(1867年)正月、友五郎は正使としてふたたびアメリカへ渡りました。目的は幕府のための軍艦の買い付けです。一行には福沢諭吉も加わっていました。友五郎はアメリカ大統領ジョンソンにも会っています。

このとき買い付けを決めた装甲艦ストーンウォール号は、のちに日本に届きますが、そのときには幕府はすでになく、新政府の手に渡って「甲鉄」と呼ばれ、箱館戦争で旧幕府軍と戦うことになりました(甲鉄艦)。幕府のために買った船が、幕府の残党と戦う。皮肉なめぐり合わせです。

失脚と明治

慶応四年(1868年)正月、鳥羽伏見の戦いのあと、徹底抗戦を説いた小栗は罷免されます(鳥羽伏見の戦いとは)。友五郎も同じ時期に職を解かれ、投獄されました。小栗とともに抗戦を主張した側として処分されたと伝えられます。

赦された友五郎は、明治三年(1870年)に民部省の鉄道掛となり、鉄道を敷くための測量にあたりました。明治十年に役所を退いたあとは、製塩の仕事に取り組んでいます。小栗が斬られたのに対し、友五郎は技術者として明治を三十年生き、明治三十一年(1898年)に八十二歳で亡くなりました。

小野友五郎ゆかりの地

笠間(茨城県笠間市)

生まれ故郷の笠間市には、郷土の先人として友五郎を紹介する資料があり、墓も笠間にあると伝えられます。

広島県立文書館

友五郎の家に伝わった文書約千点が「小野友五郎家文書」として広島県立文書館に収められています。

小栗忠順のゆかりの地をめぐる

小栗のゆかりの地は、東京・横須賀・埼玉・群馬に集まっています。姉妹サイト「日本の歴史旅ガイド」で、都内から回るモデルコースを紹介しています。

倉渕(高崎市)の東善寺や最期の地は駅から離れているので、高崎駅前でレンタカーを借りると回りやすくなります。各社の料金はじゃらんレンタカーで比べられます(PR)。

泊まりがけで回るなら、宿は高崎駅の周辺か、倉渕から車で40〜50分ほどの伊香保温泉が便利です。横須賀は横須賀中央駅のまわりに宿が集まっています。空き室はじゃらんnet(高崎駅周辺・伊香保温泉・横須賀中央)で探せます(PR)。

小栗忠順をもっと知る本

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参考資料

  • 国立公文書館「旗本御家人」小野友五郎
  • 茨城県立歴史館だより125号
  • コトバンク「小野友五郎」
  • 広報かさま(郷土の先人)
  • 広島県立文書館「小野友五郎家文書」
  • 鳴海風「幕末の数学者 小野友五郎」(京都大学図書館『静脩』)
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