伊藤助太夫 宛
| 原文 |
| 九日下の関を発ス。同十一日長崎港の口に来る。夫より私壱人上陸、水夫等ハ同十四日ニ上陸、荷物もあげ申候。右よふ御役所まで御達可被遣候。百拝。十七日伊藤九三様才谷梅太郎御直披 |
| 現代文 |
| 9日に下関を出発しました。同月11日に長崎港の入り口に着ました。私たち何人かが上陸し、水夫らは同月14日に上陸し、荷物も運びました。この件、お役所までお伝え下さるようお願い致します。17日伊藤九三様(伊藤助太夫)才谷梅太郎 |
目次
この手紙について
「九日に下関を発ち、十一日に長崎港の入り口に着きました。私たちは上陸し、水夫は十四日に上陸して荷も揚げました。この件を役所へ伝えてほしい」という、航海と荷揚げの報告です。十七日付で「才谷梅太郎」の署名。海運業を営む龍馬の、几帳面な実務ぶりがよく表れた一通です。
宛先「伊藤助太夫」とは
伊藤助太夫は下関の豪商・船問屋で、海運の実務でも龍馬に頼りにされた協力者でした。役所への取次ぎなど、地元の窓口役も担っていました。
この手紙が書かれたころの龍馬の境遇
下関と長崎を船で結び、人と荷を動かす海援隊の日常のなかにありました。航海の逐一を報告する筆まめさに、事業家としての龍馬の顔がのぞきます。
幕末全体の動き(慶応年間)
海運は諸藩の経済と武備を支える大動脈でした。船の往来そのものが、時代を動かす力になっていました。
土佐藩の当時の動き
土佐商会と海援隊が長崎—下関の交易網を担い、藩の富国に貢献していました。龍馬はその中心で船を差配していました。
坂本龍馬の手紙139通(現代翻訳文)一覧

